明日通信

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 心の邪念を捨て、正義で満たす

 

 『菜根譚』です。

 

 心不可不虚。虚則ち義理来居。心不可不実。実則物欲不入。

 

 ・虚(きょ)=邪念、邪欲がないこと 

 ・実(じつ)=正義や真理で心を満たすこと

 

 心は虚ならざるべからず。虚ならば則(すなわ)ち義理来たり居(お)る。心は実ならざるべからず。実ならば則ち物欲は入(い)らず。

 

 【訳】心は空虚にしておかなければならない。空虚にしておけば、正しい道理がおのずと入り込んでくる。

また、心はいつも満たしておかなければならない。いっぱいに満たしておけば、欲望は入ってこない。

 

 虚と実の違いを学ぼう。虚は精神性(こころ)、実は物質性(もの)ととらえるとわかりやすいかも……。

 

 スゴイねえ、新聞社やテレビ局によって数字は上下するが、高市内閣の支持率が高いところで70%超、低くても67~68%。僕らには驚きよりコワイ感じやね。

 

 先日、長男が東京(勤め)から帰り、色々話し合っている中で高市さんの話になった。息子は「いいね」と支持。その説明に「なるほどな」だったが、僕にはどうも基本的な信頼性で「ノー」。

 

 「責任ある積極財政」で豊かな日本を取り戻そう。

 アベノミクスで試みたけれど経済は一進一退なのに赤字国債だけが膨れ上がった。そのアベノミクスをなぞるような政策、時期や状況を考えるとどうかなあ、と。

 

 でも、若い人たちを中心に支持を集めているんだとか。現役やこれからの人たちが「いいね」というのだから年寄りは傍観しているしかないね。

 

 僕はこれ以上、国の借金を膨らませて子や孫に重荷を背負わせたくない。荷を軽くして自分たちの人生をのびのびと挑戦させたい、その一念です。

 高市さん、お願いしますね。

 

 多心は禍、少事は幸福の元

 

 『菜根譚』50章

 

 福莫福於少事、禍莫禍於多心。唯苦事者、方知少事之為福、唯平心者、始知多心之為禍。

 

 ・少事(ことすくなき)=平穏無事   ・多心(こころおおき)=何かと考えることが多い

 

 福(さいわい)は事少なきより福はなく、禍(わざわい)は心多きより禍なるはなし。唯(ただ)、事に苦しむ者のみ、方(はじ)めて事少なきの福為(さいわいた)るを知り、唯、心を平(たい)らかにする者のみ、始めて心多きの禍為るを知る。

 

 【訳】人生の幸福は、事件が少ないほどよく(幸せはなく)、また、災難は気持ちが多いほど災難はない(災難ということだろう)。

 ただ、平生、事件が多いことに苦労している人だけが、無事平穏なことが幸せということに気づき、また、気持ちを平静に保つよう心掛けている人にして、はじめて気持ちの多いことそのものが災難ということに気づく。

 

 日々、何にもないこと、平穏に過ごせることが幸せ。山っ気を起こせば災難は付いてくると覚悟しておかなければね。

 毎日3万円のゆとりある暮らしを望んじゃあダメ。一日300円でええ。3万円の生活だとまわりから妬まれ、「余っとるカネ持っちょるじゃろう」と狙われる。

 しかし300円しかなかったら、あんな貧乏人のとこへいったら盗むもんはないし、逆に「恵んでちょうだい」とたかられる。だから人はけーへんし、けーへん分だけ静かで平穏、シアワセじゃよ。洪自誠さんはそういってまんねん。ちょっとばかし寂しいけんどね。

 

 昨日、何の番組だったか知らないのだが、杉村太蔵さんがコメンテーターとしてテレビに出られていて、国会で日本維新の会が連立与党に入られ、その与党入りの第一条件として「議員定数の削減」を掲げられたのだが、臨時国会は審議されず閉会、結果として定数削減案が先送りされた不満など口にしておられるのに対し、「大阪の府知事であり、日本維新の会の党首ながら国会に議席がなく、そんな中で異議を申し立てたり、国の大切な議案や決め事に意見するのはしっくりしない。国民もそんな思いをしているのではないか」「やはり大阪府知事として行ったり来たりでなく、国会に議席を持たれ、全国的な日本維新の会の党首としてものを言い、責任を果たすべきではないか」、そんな見解を述べられていた。

 

 僕も早くから同じ思いで「今は大阪の行政に専念すべき。でなければ大阪を次の人に託し、日本を冠にした政党の党首ならそうした党首として国政に注力し責任をはたすべきではないか」と言っていたのだが、杉村さんが思いを語ってくれ、胸がスッとした感じ。杉村さんに拍手を送りたいですね。

 

 どんな能力がある人でも二股かけてどれほどのことができるか。代理がおり、副党首や幹事長、政調会長などなどそれぞれ役を持ち役務を果たしているとは詭弁。企業でも専務がいる、営業部長がいるから社長は「出るべきところででればいい」、だから用のない時は「別の会社の社長を務め」、「用ができたら呼んでくれ、すぐ顔をだすから」ではないよね。

 

 吉村さん、国民、府民を軽く考えないでほしいですね。

 

 金曜日の夕方、神奈川に住む長男が大阪出張の帰りだといって立ち寄り、珍しく二晩過ごして昼前帰っていった。我が家へ帰って来るのも珍しいのだが、そのめったに帰らない長男が今年、これで三度目の顔出し、それがまた珍しかった。

 

 僕が5月と7月に入院、長男なりに気にかけて見舞い目的で帰ってきたのだが、その際の病状と細った身体の様子から「80歳を越え手術したのだから衰えも仕方ないだろう」。今回は弱った親を想像しながら帰ったようだった。しかし顔を合わすと以前と変わらない“おやじ”がいて、仕事の話、経済の話、政治の話、世界の話、暮らしの話、趣味の話、テレビやネットの話など家内を交え夜中の1時、2時まで話し盛り上がるその回復と元気さに少しばかり驚いたようだった。

 

 我が家へ立ち寄ったきっかけは僕が送ったメールだった。半導体など最先端技術のエキスパートとして年中、国内外を飛び回っているのだが、50代半ばを超える定年齢時期にありその状況を確かめたかったのだ。海外だけで年間40回近く、それに国内も加えるととんでもない移動人生。柔道、空手、ラグビーで鍛えた強靭な体とはいえ元は研究者。その息子が50歳代半ばにして飛び回る。僕がマスコミ人として飛び回り、不摂生から体を壊したことを考えるとやはり気になった。

 

 聞くと、自分が抱える部門スタッフの半数以上が年上。その老若すべてが今最も注目される半導体関連で飛び回り、年上スタッフも定年延長して飛び回っている。自分自身は少しずつセーブしつつあるがあと10年は……ということだった。

 

 こんな中で親の見舞い……気遣い、「期待していないし、不要」と伝えた。幸いにして僕も家内も、つまり両親そろって細々ながら健康的にも経済的にも誰かに頼る必要はないし、近くに次男家族や三男がおり、この先も手助け無用。特に僕は父親として子供たちの学業を終えるまでの義務を果たしただけだから子供たちは恩義など考えなくていい。死にさいしても葬儀から納骨まで費用や手順、手続き一切を整えているからその面倒だけ見るだけでいい。ただ母親は別、費用一切は準備しているにしても何より大切な母親だから丁寧に送ってくれること、それをしっかり確認してくれたらおやへの気遣い無用、暇なとき、手助けが少し必要なとき帰ってくればいい。

 

 それより、グローバル企業に65歳以上の仕事はあり得ない。しかし人として65歳から後半の人生は想像以上に長し大切。どんなに財を築いても目的もない、また何かに挑み、試みるものもなく歳を重ねる人生ほどつまらないものはない。そのために今、取り組む仕事に自分なりの確かな足跡を残すと同時に少しずつ後半への人生設計を描いて、迷いないものにすべきと思う、そんな親なりの(余計な)話をして神奈川へ帰るのを見送った。