
金曜日の夕方、神奈川に住む長男が大阪出張の帰りだといって立ち寄り、珍しく二晩過ごして昼前帰っていった。我が家へ帰って来るのも珍しいのだが、そのめったに帰らない長男が今年、これで三度目の顔出し、それがまた珍しかった。
僕が5月と7月に入院、長男なりに気にかけて見舞い目的で帰ってきたのだが、その際の病状と細った身体の様子から「80歳を越え手術したのだから衰えも仕方ないだろう」。今回は弱った親を想像しながら帰ったようだった。しかし顔を合わすと以前と変わらない“おやじ”がいて、仕事の話、経済の話、政治の話、世界の話、暮らしの話、趣味の話、テレビやネットの話など家内を交え夜中の1時、2時まで話し盛り上がるその回復と元気さに少しばかり驚いたようだった。
我が家へ立ち寄ったきっかけは僕が送ったメールだった。半導体など最先端技術のエキスパートとして年中、国内外を飛び回っているのだが、50代半ばを超える定年齢時期にありその状況を確かめたかったのだ。海外だけで年間40回近く、それに国内も加えるととんでもない移動人生。柔道、空手、ラグビーで鍛えた強靭な体とはいえ元は研究者。その息子が50歳代半ばにして飛び回る。僕がマスコミ人として飛び回り、不摂生から体を壊したことを考えるとやはり気になった。
聞くと、自分が抱える部門スタッフの半数以上が年上。その老若すべてが今最も注目される半導体関連で飛び回り、年上スタッフも定年延長して飛び回っている。自分自身は少しずつセーブしつつあるがあと10年は……ということだった。
こんな中で親の見舞い……気遣い、「期待していないし、不要」と伝えた。幸いにして僕も家内も、つまり両親そろって細々ながら健康的にも経済的にも誰かに頼る必要はないし、近くに次男家族や三男がおり、この先も手助け無用。特に僕は父親として子供たちの学業を終えるまでの義務を果たしただけだから子供たちは恩義など考えなくていい。死にさいしても葬儀から納骨まで費用や手順、手続き一切を整えているからその面倒だけ見るだけでいい。ただ母親は別、費用一切は準備しているにしても何より大切な母親だから丁寧に送ってくれること、それをしっかり確認してくれたらおやへの気遣い無用、暇なとき、手助けが少し必要なとき帰ってくればいい。
それより、グローバル企業に65歳以上の仕事はあり得ない。しかし人として65歳から後半の人生は想像以上に長し大切。どんなに財を築いても目的もない、また何かに挑み、試みるものもなく歳を重ねる人生ほどつまらないものはない。そのために今、取り組む仕事に自分なりの確かな足跡を残すと同時に少しずつ後半への人生設計を描いて、迷いないものにすべきと思う、そんな親なりの(余計な)話をして神奈川へ帰るのを見送った。