令和三年皐月 月次祭

 

 

「ありがとう」、何気ないこの言葉を私たちは日常的にいつも口にしています。

人様と関わり、気持ちを介して「ありがとう」、物を介して「ありがとうございます」。

その間に感謝をこめて伝えあいながら、私たちの日々を紡ぐあたたかな言葉のひとつです。

その語源は「有り難し(ありがたし)」、「ありえないこと」です。今朝、いつものように目覚めて

昨日と同様に暮らす事や春夏秋冬が正しく巡る事は、実は驚くべき事なのです。

それらを当然と思わず、有り難い事と感謝する心は、大いなる自然の中で生かされていて、

人も自然の一部であると体験している日本人にとって、ごく自然に感じられます。しかし、

私たちは時にそれを忘れ、災害や何事かがあってようやくそれを思い出します。

年配の方が「ありがたいありがたい」と神仏や自然に手を合わせて感謝する姿は、

日本人になじみがありますが、それは私たちに、目に見えない大切なことを伝えてくれている

姿なのかもしれません。

 

「すみません」は「済みません」、すなわち「まだ、済んでいない」の意味です。

「済む」の語源は「澄む」で、濁った水が元の透明な状態に戻る事を指します。

状態を表す言葉が謝罪の言葉に変化したのは、「それでは私の心がすみません」等の

心の状態を示す表現に使われたからでしょう。すなわち「すみません」は、

今の状態を好転させ、自らの心を「澄ませ」ようとする前向きな決意を表す言葉でもあります。

このような所にも日本人の澄んだ清らかな状態を求める心が感じられます。

 

そしてお別れの言葉、「さようなら」。世界各国の別れの言葉を見れば、英語の「グットバイ」は、

元々「ゴッド ビー ウィズユー」(神があなたと共にありますように)と、別れに臨んで

相手の幸せを祈るもので、これがフランス語の「アデュー」、スペイン語の「アディオス」等も

同様です。また、再会を願うものは、中国語の「再見(サイチェン)」はじめ、フランス語の

「オ ルヴォワール」、ドイツ語の「アウフ ヴィダーゼーヘン」も共に「また会いましょう」の

意味があります。このように世界の別れの言葉が、相手のこれからの幸せを祈ることや

再会を約束するものが多い中で、日本の「さようなら」は、ある意味、特殊なものと言えましょう。

「さようなら」は、言わば、「然様(さよう)な状況であるならば・・・」、そのような状況となったので、

これにて一区切りといたしましょう、と言うことです。出会い、時を過ごして用をすませ、

それではそろそろ・・・と互いがどちらからともなく切り出します。ややそっけなくもありますが、

時機が満ち、区切りをつけることで、さぁ、と、次の流れに向かいます。そこに潔さを良しとする

日本人の独特の感性が感じられるように思います。

 

巡りゆく四季折々の暮らしの中で、日本に住む私たちは、日々言葉を交わしながら出会いと

別れを重ねていきます。ゴールデンウイークが終わり、いよいよ新緑の眩しい頃です。

時にはこうした日本語の持つ豊かさを味わいつつ、薫風に吹かれてゆったり時を

過ごしていたいものです。

 

〇参考図書:「暮らしの日本語辞典」上野英二(清涼書院)・「日本のこころの教育」境野勝悟(致知出版社)

 

 

↑5月15日に訪れた高麗神社にあったお手紙です。

 

 

 

 

↑これは みなさんへの メッセージ☆