抜粋↓

 

「理解ろうとする必要はない。ただ受け入れればいいんじゃ。人間はなんでもかんでも理由を付け、意味を与え、理解しようとする。そして色々なことを知識として知れば知るほど、知らないことに対して恐怖や不満や苛立ちを覚える。そしてエゴを覚える。ウソの付き方も覚える。知らないことに対して負の念を抱き、エネルギーのキャッチの仕方をどんどんと忘れる。例えばワシ(壁)が剝れれば、とにかく何かのせいにしようとする。壁を塗った人のせい?空気が乾燥しているせい?アパートが古いせい?手抜き工事?こないだの地震のせい?エトセトラ、エトセトラ・・・。ワシが剝れたら、剝れた、ただそれだけ。それ以上でも、それ以下でもない。そこに意味を与える必要も、何かのせいにする必要もない。犬がガラスの破片を踏んずけて足を切ったなら、犬はその割れたガラスをなじったり、ガラスをそこに捨てた者に怒りを覚えるよりも、その瞬間の現実を受け止め、足をペロペロと舐め、自分の出来る範囲で何とかしようとする。足を切ったのは自分のせいでも、誰かのせいでもなくて、ただ『足を切った』だけ、以上。だから少しずつ傷が癒えていくことに喜びを感じられるが、人間なら足のキズ以上に深い心理的なダメージを受ける。そして例え足の痛みはいつしか消えても、怒りや不満は収まらない」



 

「・・・人間は地球の住人として、動物界・植物界・鉱物界の3界から学ばなければならないことが山ほどある。でもね、ボクたちも人間から学ぶべきことがあるんだって気付いたんだ。ニワトリが殺されて鶏肉にされる時、それを残酷だ!と言って自分の意見や常識を無理やり他人に押し付けるのはエゴかも知れない。けれど殺されていくニワトリに同情し、それを止めてもらいたいと願う気持ち自体はむしろ思いやりであり、優しさなのかも知れない・・・。鶏肉になったら鶏肉としての命を授かり、食肉としての新たな人生が始まることをボクたちは知っている。だからその辺の境界線が今一つ理解らなかった。でも、それは人間が命というものを何より大切に思うからこそなのかも知れないと、今は思う。どちらが正しくて、どちらが間違っているとかいう『白 or 黒』じゃない。これからの地球は、3界と人間がお互いをもっと理解し、お互いを受け入れ、コミュニケーションを取って学び合い、バランスのとれた環境を築いていかなきゃいけない。そして、その為にも『もっとお互いの立場に成り切って相手の気持ちを経験してみること(トランス)』が重要なんだと思う」


抜粋以上!



今日はとっても気持ちいい日。