東洋美食薬膳協会主催

本田朋美さんの韓国伝統茶特別講座第5回目【最終回】に参加しました。

 

 

今回は最終回ということなので、韓国のお茶の歴史についてまとめてみようと思います。

 

 

韓国伝統茶は「三国史記」という韓国の歴史書によると、632年~636年の新羅、善徳(ソンドク)女王の時代に唐から伝来しました。

(善徳(ソンドク)女王は韓国の歴史ドラマにもなっているそうですが、私は見たことがありませんが、とても興味が湧いてきました~キラキラ

 

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では韓国に伝えた中国のお茶の歴史について簡単に・・・

 

紀元前2700年頃、神農(しんのう)という漢方薬の始祖とされている神が書いたとされる現存しない「神農食経」という書物の中で「荼(ちゃ)」という字を用いたことで、喫茶の起源とされています。

 

神農という人物は伝説上の神様なので、実在したかは不明だそうですが、こんなエピソードがあります。

 

『身近な草木の薬効を調べるために自らの体を使って、一日に100種以上の草根木皮を嘗め、70種の毒にあたり、茶葉を噛んでは解毒した。』

 

神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」という」中国最古の薬物書には、古代中国に伝わる薬物の知識が集録されていて、後に引き継がれていきました。

 

つまり漢方薬膳の起源は同じく、4000年~5000年もの歴史があり、薬効の強いものは主に薬として使われるようになり、薬効の弱いものは日ごろの食事やお茶として楽しむようになったということです。

まさに薬食同源です!!

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さて韓国伝統茶の話に戻ります。

 

新羅、善徳(ソンドク)女王の時代から後、同じく新羅、興徳(フンドク)王の時代、828年以降に、唐への使臣が茶の種を持ち帰り栽培が始まったことにより、盛んになっていきます。

 

※日本ではその頃、平安初期(815年)の『日本後記』にて嵯峨天皇へ茶を煎じて奉ったとの記述があり、これが日本茶の喫茶に関する最初の記述と言われています。

日本で茶の文化が盛んになっていくのは1191年鎌倉時代のころから、15世紀後半、安土桃山時代には現在の茶道が完成します。

このあたりになると歴史に疎い私でも知っている、千利休の『茶の湯』ですねウインク

 

 

またまた脱線しましたが・・・

高麗時代(918年~)になると仏教の影響で緑茶がより飲まれるようになり、栽培が追い付かずに中国からの輸入に頼ることになります。

 

そして朝鮮半島における茶の文化の分かれ道がここからです!

 

その後の李氏朝鮮時代(1392年~)には仏教が排除されて、酒文化を重視する儒教が広まり、緑茶文化はお寺、貴族の一部を除いて衰退します。

また朝鮮半島には茶の栽培に適した土地が少なかったことも衰退した原因と言われています。

 

一方朝鮮半島では元々、おこげ茶のスンニュン、甘酒のようなシッケ、はちみつで作った蜜水(ミルス)などの伝統茶が存在していました。

茶葉にかわる嗜好品として飲まれるようになり、木の根果実種実野草花、穀類などに広がり、茶葉を使わない飲料についても「」と呼ばれています。

 

また韓国では薬食同源の食の概念が根付いていて、伝統茶文化においても同様に、植物の効能をうまく活用してつくられています。体に良いお茶、疲労回復、風邪予防としても日常的に飲まれてきました。

 

私の大好物、韓国の「ミスカル」は米粉、麦粉、豆粉などを蒸したり炒めたりしたものを粉にして混ぜ合わせた伝統食ですが、水、湯、牛乳などで溶いて飲まれています。これも伝統茶というのでしょうか・・・?

最近このミスカルにハマっていますラブ

これは先日カルディで購入!

 

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