太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む(慰霊の日)_の23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和記念公園で沖縄全戦没者追悼式が営なわれた。


 沖縄には1945年3月末に米軍が慶良間諸島に上陸。3ヶ月にわたる地上戦で県民の4人に1人、日米合わせて約20万人が犠牲になった。


 6月23日は日本軍の組織的戦闘が終わった日とされてる。占領された沖縄は72年まで米施政下に置かれ、米軍施設が集中する事となる。


 国土面積のわずか0.6%の沖縄に米軍軍事施設の70%が集中する現実をどれだけの日本人が知ってるんだろうか〜?


 そして、沖縄戦での悲惨さや悲劇を私たちはまさに自分たちの出来事として認識してるだろうか〜? 僕の親爺は巡洋艦の乗組員だった。


 東シナ海で米軍の魚雷で沈没して、背中に傷を負って漂流中に運良く日本の貨物船に救助された。

 親爺が年老いてから2人で温泉に行った時、背中を流してたら、ケロイド状の跡があった。


 元へ、沖縄戦では多くの民間人が戦火のみならず自決した。日本軍が強制したとも言われてる。

 現職の時に自決した男女、子どもたちが横たわってる写真を教材にした。


 (平和の礎)_には約24万人の刻銘がある。


 でもね、普天間飛行場の辺野古移設問題は僕には難しいのが良く分かりせん。てもさ、埋め立てに本島南部の土が使用するらしいです。


 南部には戦没者の遺骨が多く残っているのにさ。

 最後に式典には宮古高校3年生の仲間君の詩が朗読してけど、素晴らしいです。


 (あの日 短い命を知るはずもなく 少年少女たちは 誰かが始めた争いで 大きな未来とともに散って逝った)_ほんの一部です。


 朝日新聞の24日付けです。残念ながら読売新聞は一面も社会面も政局のみです。


ありがとうございました。感謝、感謝😪👬👫