僕たちはサヨナラしたり、新しい出会いを繰り返しながら人生を豊かにして生きてる。

しかし、朝日新聞に(サヨナラができない)_との記事が載った。


 3人の有識者が書いてるけど、2人の方はツマンナイから筑波大学教授の土井氏の記述に、僕の感想を交じいて書いてみます。


 冒頭に(かつて若者の交友関係は、中学、高校

大学へと進学につれ、入れ替わっていくのが常でした。でも今は違っているようです。高卒で就職した同窓生と遊んでる大学生〜同じ中学は(同中)_と大切にする)_


 僕には信じられない光景です。だってさ、大学進学は大抵は地元を離れ、東京や京都などへと出て行くからです。土井氏の認識は極端だと感じます。


 勿論、大学生が春、夏休みに帰省した時に遊ぶことは有ると思います。ただ、それを日常的だとは言えないかなと思います。


 僕が土井氏に共感出来るのは (惜別と出会いで関係が更新される時代と異なっている)_かな

土井氏は生まれた土地の交友関係の深さを前提としてるけど。


 僕には残念ながら_?_中学、高校で親交のあった友だちで、今も付き合いの有る人間は1人もいません。まさに惜別と出会いの繰り返しです


 土井氏と僕の感覚のズレは育った環境に有るのかなと思う。僕の古里は寒村で皆んな貧しかったから、長男を除いて集団就職列車で都会への惜別だった。


 中学の同級生164人中高校進学者は17人だったかな~? (今の若者には未来は平坦な高原だが、かつての若者には未来はそびえる山の様なものだった)_共感出来るかな。


 僕は就職を前提に商業高校に進学しました。

でもさ、ひどい高校で嫌気が差したのてす。自由を求めて大学進学を親爺に言った。殴られかと思ってら頷いてくれた。


 予備校にも行かず、商業高校からの大学受験ですから、(目前にそびえる山の様なもの)_でした。独学も途中から楽しくなったけどね。


 高校の仲間とは惜別では無く、自然消滅でした。でもね、大学での新しい友人は僕にとって悪友同様でした。特にSとYはね。


 (地縁や血縁のような、かつて多くの若者たちがしがらみと感じて嫌い、抜け出したいと願った枠組みに、今や包括されることで安心感を持つ現実がある)_共感ですね。


 でもね、此の年齢になると惜別では無い永遠の別れもやってくる。僕の保護者のようなYが亡くなってから、20年位経つのかな。


 連絡を受けて自宅にO子ちやんと2人で駆けつけた。布団に横たわり白布が掛けられてた。

布を取ると、穏やかな表情のYが居た。


 僕は心の中で(バカヤロー)_と叫んでた。そして、ヤツや皆んなが好きだった母校の校歌をヤツに届けとばかりに歌い冥福を祈った。


またまた長くなってゴメンナサイ。

ありがとうございました。感謝、感謝👫👬💦