天声人語氏は冒頭から(私が生まれ育った家には風呂が無かった。だから、隣家からもらい湯をした。前掛けをしたおばあさんが薪をくべパチパチと炊きあげる湯だった)


 人語氏が遠い記憶を蘇らせたのは農民詩人である永瀬清子の生家を訪ねたからだと言う。

 詩人が暮らした家は老朽化してたが支援者が改修して、五右衛門風呂も再生され、入浴体験も出来るらしい。


 永瀬は終戦の直後に岡山県の古里に戻り、執筆活動をする。

 農婦であり、母として田園に生きた詩人である。苗を植え、風呂を炊き、家事をこなした。


 深夜にちやぶ台の茶椀を除けて、詩作に励んだという。人語氏も五右衛門風呂に入らせてもらった。(無性に故郷が懐かしくなった)と結ぶ


 永瀬清子はおそらく、そんなに卓越した詩人では無いかも知れない。失礼ながら文中の詩作を省略しました。


 僕も天声人語氏と同様に遠い故郷の五右衛門風呂の記憶に思いが行ったからです。

 僕の村では、ほとんどの家では五右衛門風呂だったと思います。


 五右衛門風呂には余り良い記憶がありません

大抵は最初に親爺が入るのですが、風呂の中で身体を掻くので、アカが一面に広がってるのてす。

 僕は其のアカを桶ですくい取り、後で入るお袋が不快になら無い様に、子ども心に気を付かってました。


 確かに、五右衛門風呂と言うと旅情を誘いますが、生活の一部分となると、そうでも無いという、天声人語とは異る駄目なブログになりました。


ありがとうございました。感謝、感謝🧺