BOYS  BE  AMBITIOUS_! 

 北海道開拓に尽力した札幌農学校(現北海道大学)_の教頭のクラーク博士が、この有名な惜別の辞を教え子たちに告げたのは明治10年4月16日だった。


 元来、北海道大学内のクラーク博士像は上半身のみの胸像で大正15年でしたが、観光客が多く訪れて観光公害が起こり、観光バスなどを制限した。


 代わりに農業研究施設があったさつぽろ羊ケ丘展望台にクラーク博士のブロンズの立像が建てられた。昭和51年で観光名所になってる。


 北海道大学の胸像も羊ケ丘の立像も右手を空に差し出してるが、(遥か彼方にある永遠の真理)_を意味してるというが、これは後で勝手に考えた事。


 クラーク博士は米国出身で札幌農学校には1年間しか教えてない。BOYS  BE   ANBITIOUS

の惜別の辞だけが独り歩きした感じかな~?


 今年の10月16日でクラーク博士が去ってから147年経つけど、羊ケ丘展望台にはクラークの全身像が建ってる。そして、来場者向けのサービスで(大志の誓い)_があるらしい。


 1枚、100円で書いた誓いは永年保存してくれる。凄いな~日本人て商魂逞しいですね。

皆さんには書く様な大志は有りますか?


 僕には残念ながら無いです。もうジジだしね。クラークは大学生への惜別の辞だから、僕も大学生の頃を思い出しても、(大志)_なんて無かった。


 就職試験には4社共に花は咲かずに、あえなく散った。単なる雑誌の編集者という、(大志では無く少志)_だったけどね~?


 まぁ、とはいえ生活してく為にバイトに日々頑張ったです。トラック運転手、ホテルのボーイ、ラーメン屋の出前持ち〜。時給の高い方への渡り鳥。


 ホテルのボーイが時給が良くて、2年間続いた。でもさ、或る日の帰り道に喫茶店でボッとしてた時、(俺は何をしてるんだ)_と思ったんだ


 そして、教師になりたいとの(小志)_を抱いた。でもさ、僕は商学部だったから商業の教師なんてまっぴらだ。社会科でなくては世の中の事を教えられない。


 文学部への3年への学士入学との方法も可能だが、ツマンナイから大学院に行こうかな~? 無謀な挑戦だけど、若かったから怖い物無しだった。

 下宿から大学院の文学部学部長に電話して質問したら(不可能だから止めた方が良い)_だって


 (イヤだね)_生活の為に昼間はバイト、夜は勉強で睡眠時間は4時間、1年間も(小志)_の為だったから辛くは無かった。むしろ楽しかった。


 さすがに合否発表の時は緊張したよ~。

大学院の玄関に合格者番号が貼り出された。

 そっと見たら僕の番号があった。マジに腰が砕けて床に落ちてた。


 僕の(小志)_が実現してしまった。思ったね。

(俺の人生が開けた)_ったネ。てもさ、世の中甘く無いネ。修士論文書くのに3年掛かった。


 修士論文査定会議では僕が1人で机の向かいに5人の教授たちで1時間の質疑応答。中央には学部長で電話したK教授。K教授が(合格)_と言った。

 更に教授が(僕に電話してきた学生かね)_僕は(ハイ)と答えると(良く頑張った)_だって、嬉しかったね~。


 今は分かん無いけど、教授の元に私立高校からオファーが来るんだ。(好きな高校を選らんで良い)_と言われ、某高校を選らんで赴任した。

 僕は29歳になってた。


 これが僕の(大志ならぬ小志)_実現でした。

でもさ、充実した教師生活だったよ~。回り道ってした方が良いと断言てきる。


ありがとうございました。感謝、感謝👬👫👣