渥美清の芸はシンプルで肩を張らない。

多分、2つの経験が有るからなのかな~?

 若い頃の渥美は賭場に出入りし、テキ屋の手伝いをしてた。 チンピラだったのかな?


 しかし、26才で大病に見舞われる。

結核を患い、片方の肺を摘出してた。そんな手術の結果、煙草も酒もやめて役者稼業に集中していった。


 人間て不思議な生き物だと思うよ。

順調な人生を歩んだ人よりも、渥美の様に裏の世界を経験したり、生死に関わる大病に罹ったり、回り道をした人の方が人間性豊かになる。


 回り道した人間はおそらく、どんな職業に就いたとしても、人間としての幅が身に付いてるから、成功するし周りの人々から信頼される。


 だから、世の中の親御さんで我が子が不良であったとしても、成長すればきっと自分の行動を糧にして振り返る時が来ると思うよ~?


 其れにしても(男はつらいよ)_シリーズが48作もいくのは驚異的だね。

観客もどの作品も定型的だから、あらすじも結末も分かってるから安心して観れる。


 必ずマドンナが登場して寅さんが片思いをする。そして、爽やかに失恋💔して終わる。

そんな合間に寅さんが行商しながらのセリフが入る。


 (わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名前は寅次郎と申します。人よんでフーテンの寅と発します)


 (結構毛だらけ猫灰だらけ 尻のまわりはクソだらけ)_などの行商での口上が出るのを楽しみにする定型さが受ける。


 あと1つの定型は柴又の家でのやり取りかな

倍賞美津子演じる妹のさくらとその夫、隣の工場の親爺やおばちゃんなどと寅さんを巡る会話が面白い。


 柴又から帝釈天へと通じる商店街が懐かしいです。僕の学生時代の下宿だったボロアパートは柴又の隣の京成小岩でした。


 なので、柴又には良く行ったから、寅さん家の団子屋は何処かなと捜したりした。勿論、スタジオでのセットだと思いつつですがね。


 又、小岩や柴又は江戸川の土手の下です。江戸川を舟でわたる(矢切りの渡し)_も情緒があったし、帝釈天も小ぢんまりとしてて好きだった


 又々余談ですが、京成小岩は僕の青春時代の断面があった。

 駅前のスーパーのセイフーチェーンは今も有るのかな? バイトでの体験は忘れられない。

 寅さんじやないけどフーテンの僕みたいな青春だった。

 店頭で大声を出してミカンやリンゴを売ったり、1973年のオイルショックで洗剤をどんぶりでの測り売りしたり。


 朝出勤すると店頭から長蛇の列だった。

開店するや2階へと駆け上る。サンダルが散乱したり、子どもの泣き声が響きわたる。


 主婦たちの凄まじさの中での、洗剤をどんぶり3杯づつの測り売りだった。

 ついでに僕の下宿のアパートは傾いた2畳半で、寝る時は押し入れに頭を入れて眠った。


 あのアパートはさすがに建て替えられてマンションになってかな? 

機会が有れば京成小岩と柴又に行ってみたいな


 映画は僕は10作位しか観てないけど、(フーテンの寅さん)_はずっと名作で輝き続けると思うよ。残念ながら渥美清は1996年、移転性肺癌で逝去した。享年68歳だった。御冥福を祈ってます。

ありがとうございました。感謝、感謝🙄