1973年、オーディション番組(スター誕生)_で山口百恵は準優勝して、14才で芸能界デビューした。桜田淳子、森昌子と共に(花の中3トリオ)_なんて呼ばれてた。


 もっともデビュー曲の(としごろ)_はオリコン37位と低迷してた。

 そして、性転路線にかじをきる。(青い果実)_です。(あなたが望むなら私何をされてもいいわ)_此の曲が大ヒットする。


 10代の百恵には光と影があった。その微笑みは周りを暖かくした。けど、物憂げな表情をも見せた。そのコントラストが彼女の魅力となってファンを虜にした。


 (少女から脱皮した彼女は神になった)_と言われた。そして彼女が19才の時に運命的な曲に出会う。(プレーバックPART2)_ですね

 阿木燿子作詞、宇崎竜童の明治大コンビです


 (馬鹿にしないでよ)_のフレーズが流行った。

阿木燿子が百恵に提供した曲は(横須賀ストーリー)(夢先案内人)_がヒットして、映画やドラマにも出演して、国民的スターとなった。


 一方で花の(中3トリオ)_の森昌子は森進一と結婚するも離婚して、癌を患い芸能界からは姿を消した。 桜田淳子は旧統一教会のキャンペルガールになってしまった。


 唯一山口百恵は三浦友和と結婚してから、家庭に入り、ファンの眼の前から消えた。

ラストソングは(さよならの向こう側)_です。


 ステージでは(Last  for  everisongさよならのかわりに)_と歌い、マイクをステージに置いて去って行った。 なんか寂しかったのを覚えてるかな~。



ありがとうございました。感謝、感謝💕