昨年の12月3日、99回目の早明戦が行なわれた。 58対38で明治大学がトライの応酬を制した。後半に早稲田大が猛追するも届かなかった


 負傷で欠場した明治の主将、廣瀬はブレザー姿で安堵してた。一方で早稲田の主将、伊藤は悔しさを滲ませてた。


 両校にとって対抗戦の早明戦は特別なのです

対抗戦の最後で12月の第1週の日曜日に国立競技場で毎年激突する。そして、観客席は常に満員。 もはや、冬の風物詩かな~?


 早明戦の第1回は1923年12月24日だから、昨年、2022年に100回目の激突を終えてるはずだが2年ずれてる。戦争である。


 1941年の早明戦は国立競技場の前身である神宮外苑競技場だった。

戦前評が(早稲田大学六十年史)_に載ってる。

 (明治随一の力量、挑む早稲田 分岐は速力)


 26対6で赤と黒のジャージイが紫紺と白を破った。翌朝、早稲田大学の教室に2人の対格の良い学生がいた。

 中村教授は2人を起立させて言ったという。

 

 (本日の戦争のニュースも重大であるが、もう一つ大きなニュースがある。それは昨日、早稲田大学のラグビー部が明治を破ったことである)


 (あの激しい試合をしたにもかかわらず、両君が本日の授業に出席してるのは学生の模範である)_此の12月8日は米の真珠湾攻撃を行った日であった。

 

 何と教授が日本の開戦のニュースと同様に早明戦を扱ってたことに驚く。なんか戦争の行く末を暗示してた様な出来事ではある。

 

 前日の早稲田の出場選手でフォワードの村山

センターの福留、監督の大西は戦場で生命を落とした。同部では21人の卒業生、3人の学人出陣部員が戦死した。


 明治大学ラグビー部監督の監督、北島忠治は軍組織の欺瞞を見破ってた。

 1974年の著書、(ラグビー人生五十年)_に自身の体験を述べてる。


 (銃は歩兵の魂と教えているけれど、その魂を他人に磨かせ、他人と言っても後輩だし、学校で言えば下級生だし、磨かせ方が悪い言ってはむやみにぶん殴っているけど、こんな馬鹿な軍隊はない)


 そして、(派手に死んだのは高島輝だな)_と述べてる。例の42年12月6日の明治フォワード3列にして主将。15対10で早稲田大を下して、使命を果たした。


 彼は艦上爆撃機の操縦士となり、東京上空でグラマンと空中戦を演じて、彼の飛行機は不時着そして炎上。

 ここでの空中戦は蹴り上げられたボールを奪い合うことでは無かった。


 2023年11月23日、100回目の早明戦を前に吉永小百合が朝日新聞にコメントした。

 (世界中で戦争が拡大してます。この対戦が続きます樣に皆んなで平和を作ってのが大切)


 此れはラグビーの言葉だ。ラグビーが出来なくなるから戦争はいけない。

 待ち望んだ好敵手との力比べの機会を失くした青春の無念、更に、人生を断ち切られた残酷がある。


 僕の大好きな早明戦が平和の中、ずっと続きます様に願ってやまない。そして、心躍る激突を楽しみにしてる〜。


ありがとうございました。感謝、感謝🔥🏈🏉