PL教団が崩壊していく。最盛期には信者数265万人を誇ってたが、今や数万人と悲惨な宗教集団となってる。 原因は教主の跡目争い。


 教団の前身は戦前に立教された[ひとのみち教団]で御木徳一が初代教祖です。

 徳一の長男徳近が引き継ぐが、戦前に教育勅語の解釈から不敬罪に問われ弾圧を受けた。


 天理教も弾圧されてるが、新興宗教は大抵が弾圧されてる。 

 徳近は46年、PL教団を設立して(人生は芸術である)_と唱え教団は拡大していく。


 毎年8月1日の(教祖祭)_では10万発の花火大会があり、敷地内には遊園地のPLランドもあった。

 又、PL学園高校は甲子園の強豪校として春夏通算7度の優勝を誇り、桑田真澄や清原和博ら多くのプロ選手を輩出してる。


 ところが、野球部の暴力事件で16年から球部状態が続いてる。そして、教祖の跡目争いでPL教団は衰退してく。

 花火大会は開かれず、遊園地は更地になった


 古参信者の多くはPL教団を設立し隆盛を築いた徳近を(ニ代さま)_と呼んで厚く信仰したという。彼は96年に亡くなり、御木貴日止が(三代さま)_となる。


 徳近に子どもが居なかったので御木を養子とする。彼は2代教祖の妻の甥にあたる。

 彼は秀才で東大理科1類に合格してる。甲子園アルプススタンドにPL学園の応援人文字も考案してる。


 その貴日止の結婚が教団に騒動を引き起こす。相手は東大生の時に下宿で世話をしてた美智子である。教団幹部は美智子は妻に相応しくないと解雇した。


 彼女は淡路島に帰ってた。貴日止は徳近の死後、教主となると未練立ちがたく、美智子を連れ戻し結婚する。周囲の反対を押し切っての極秘結婚だった。美智子には婚約者がいたのに。


 教祖の結婚は機関紙(芸生新聞)_にも載らず、信者にも知らせなかった。しかし、極秘結婚はマスコミに知られ、週刊誌やTVで巨大教団のスキャンダルとして報道された。


 それでも、教団は活発な宗教活動を続けたが

06年、彼は硬膜下血種で倒れたことで状況は一変する。以降、美智子は教団の指導者のような振る舞い方をする。


 教団の実権は完全に美智子が握った。或る会合で(結婚に反対したニ代さまや影身祖さまへの恨みつらみを、我々信者の前で堂々と述べられた〜将来が大丈夫かと愕然としました)_という


 結婚に反対だった影身祖という久枝が14年に亡くなった。花が好きだったというが棺桶には覆いも掛けられず、献花も無し。(美智子の仕返しだった)_と元幹部はいう。恐るべしかな~。


 或る古参信者は(美智子さまの強権ばかりが目につきます。桜の名所だった聖地は宅地造成地となり〜教団は閉塞感に襲われてる)_と話す。


 信者は次々と退会して、信者数は僅か数万人になった。かつては265万人とも云われてたのにだ。PL教団の終焉です。


ありがとうございました。感謝、感謝😠🌪️