あの時代は 何だつたのですか。

 あのときめきは 何だつたのですか。

 みんな夢でありました。


 僕はもう語らないだろう。

 僕はもう歌わないだろう。

 悲しいまでの君と僕はここにいる。


 炎に燃えたキャンパス通り。

 あれは雨の金曜日。

 眼を閉じれば 悲しい君の笑い顔。

 何も無いけど ひたむきな僕達が立っていた


 もう一度やり直すなら どんな生き方がある

 のだろう。


この曲名知ってますか? かなり省略してる。

殆どの方が知らないのは当然です。 

森田童子さんの曲で、(みんな夢でありました)

です。


ユーチューブで聴くと、写真も映されるのが良いよね。 1960年代後半の学生運動を歌ってる。 写真と歌詞がズレてるけど、仕方無い。


東大、安田講堂での学生と機動隊の激突シーンは、(炎に燃えたキャンパス通り) ってあるけど、きっと御茶ノ水駅から靖国通りまでの通りなんだろうな?


明治大学、中央大学(移転前)、日本大学のキャンパス通りだった。

僕達は駅の手前と靖国通りに面する2箇所をバリケード封鎖した。 フランス風にカルチエラタン? と称する解放区を作った。


今思うと、子供のママゴトみたいな舞台設定だったけどね。 それでも、僕達は真剣だった。

学費値上げへの反対、学問の自治〜を実現するために!


機動隊との攻防が始まつた。歩道のレンガを砕き、ゲバ棒で機動隊の盾を突き、投石を繰り返す。 機動隊は放水、催涙ガスでの応酬。


そんな攻防の中で、あちらこちらから炎🔥が上がった。 まさしく、(炎に燃えたキャンパス通り) だったよ。 ミニ市街戦かな?


そんな炎の原因が一般市民の車だって分かった時は、馬鹿野郎、燃やすんなら装甲車だろう。

市民の車を燃やしたら、市民の反感を買うだけで、社会的にも敗北する。


僕が学生運動から手を引いた原因の大きな1つだった。

(あの時代は何だつたのですか。)

(あのときめきは何だつたのですか。)

あのときめきが失望へと変化していった。


写真には、お馴染みの安田講堂の攻防が映される。東大には行った事無いから分かんないけど、大学院は安田講堂にあったのかな??


僕は通ってた大学が封鎖されてて、大学院が最後の砦になると聞いてたから、見に行った。

呆れた。階段、廊下には教授達の学術書が散乱して、土足でめちゃくちゃ! 中国の焚書だ。

教授達はブルジョアだからだってさ?


あれはみんな夢でした。

燃え上がる市民の車、散乱する学術書。


皆さんの誤解を解く為に?

学生運動は2系列ありました。

僕達の様に学費値上げ反対、日大の様に理事会の横暴さを正常化する全共闘!


もう1つは、中核派、社学同〜のセクトで真面目?に暴力革命を目指した阿呆な連中です。

内ゲバ等で殺人までやった。

奴等は単なる自己陶酔と精神的な幼稚な子供!


(もう一度やり直すなら どんな生き方があるのだろう) あれから50年余り。皆んなどんな生き方をして来たのだろうな?


ありがとうございました。感謝、感謝🌊