普通車の教習がビューティフルドリーマー状態になってしまいました。教習が居心地が良いのが居心地が悪い、なんてことはあまりないと思われますが、修了検定で自由に走らせてもらう→補修を受ける→お金を払う→修了検定で自由に走らせてもらう→補修を受ける→お金を払うのループに入ってしまい、お金がいくらあっても足りないなと思っているのに、あまり気にならなく(金銭感覚が麻痺していて)本当に困っているのです。私は学科のほとんどを免除される免許を持っているのですが、この微妙な余裕と「修了検定で(失敗後)自由に走らせてもらう」がセットになり、なんとも言えない教習場内モラトリアムの空気を創っているのです。この終わらない夢が発動しているときはスピードが速くても怒らないし、縁石に何回乗り上げても(クランクやS字ではない、まったくもって外周に隣接するランダムな所)怒らないし(失格は失格だけれども怒らない)ブレーキも踏まれません。とにかく楽しく、教習官の方も楽しそうなのです。嫌なことを言う教官や今の時勢を反映している娑婆くさいトヨタ車にNGを出しまくったらただただ居心地の良い、ただお金がすごいスピードで消えていく閉鎖空間が出来上がってしまいました。どうしたものか。お金がすごいスピードで消えなければ悪くないんですけどね。

 

懐かしアニメ少女革命ウテナに出てくるヘッセに影響を受けたセリフ「世界の殻を破らねば雛鳥は生まれずに死んで行く・・・」を思い出しました。モラトリアムとしか形容のしようがないのです。私(ウテナとかをやたらと真面目に見ていた世代)はモラトリアムの沼におばさんになってからはまるとは思っていませんでした。そしてその謎の閉鎖空間(面白いことだけを追求するハルヒの望んだ世界)は「教習所」と言う形をとって私の前に現れたのです。

 

このわがままにわがままを言って作り上げた閉鎖空間が「現実」の道路を運転するための仮免許と引き換えに消滅してしまうのを不安に思っているのです。

 

しかし戻りたい現実・行きたい現実等あるのかって言う。私、現実に用あるのかな?