爆釣りタイトルです。普通の人が読みたいようなことはここには書いてないかもしれないです。

 

私はアラフォーですがアラサーの時に断捨離したロリィタ服とゲーム関係の楽譜、あと最近になって処分したCDについて思うことがあります。ものを捨てたから見えてきたことがあります。

 

前の記事でガス燈のようなコンテンツと言ったジャンルのものたちではありますが、何者かが必死になって日本の若い女性が憧れていた上級な貴族風文化を娼婦の文化だと言って貶めていること、そして建前上はエンターテイメントの輸出がされていないとされる頃からゲーム関連の権利の韓国企業への売却がずっと前から(ユーチューブにあがってる韓国メディアの記録から判断して80年代には確実に)あったことは絶対的事実でシンプリストじゃないと足を掬われるから仕方なくシンプリストをしているわけです。

 

私は小学校低学年でスーパーファミコンを買ってもらい、幼少期の思い出とゲームの思い出は絡み合っていてロリィタを毎日着ていたのは大学時代で、大学に入ってからはっちゃけていた自分としては青春の思い出そのものなのですが「思い出そのものが売国ガス燈コンテンツだった」という悲しさはあります。韓国人だって韓国の大企業が作ってるとおもっていたものが日本のものだったりして混乱していると思うけど、その混乱を利用したのがあの・・・言わずもがな、の方々です。

 

断捨離して得たもの、とかいうテーマで書いていますよ、と言えば読んでいただけるのだろうか?(べつに読まれなくてもいいんだけど)実際のところあたまがすこしよくなったけどきょむかんがうまらない・・・。あたまはすこしよくなったよ?

 

虚無感が埋まらないから手芸などをするのだ。人様の生活や思い出に入り込めるほどいいものは作れないので、自分のために趣味としてくだらないものを作るのだ。

 

10年前に好きだったゲーム音楽や好きだったロリィタのワンピースの話をしてもいいけど、記憶の操作に使われるかもしれないから、足を掬われるかもしれないから、しない。