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アジアのこどものデンタルケア

 ”歯ブラシ1本からの健康作り” 
 ミャンマーを中心に、東南アジアのこどもたちの健康を願い、個人として無償のボランティア活動をしています。
また、現地の歯医者さんたちとも交流し、勉強会やともにボランティア活動などもしています。

 2015年も間もなく終わりですが、今年も多くのこどもと出会い、そしてたくさんの笑顔をいただきました。また、ミャンマーでの活動も5年目になり、多くの方から支援をいただくようになりました。この場をお借りして、感謝申し上げます。
   
 
**  2015年の活動報告 ****************
 施設などへの訪問がないときは、ボランティア仲間の歯科クリニックで、日本人はじめ地元の患者の歯科治療のアドバイスを行いました。
また、今後の活動についてNPO団体などと話し合いを持ちました。

1月 3日 福岡在住ミャンマー人 新年会
  29日 福岡国土専門学校 日本語科  歯の話と歯科健診
  25日 福岡 日本・ミャンマー友の会 交流会
  31日 放課後等デイケア「こっしーらんど」 歯の話と歯科健診
2月16日~21日 ミャンマー人歯科医師 福岡へ研修のため招待

2月25日~4月25日 ミャンマー
2月27日 ヤンゴン日本人会 AED講習会
3月 3日~5日 カレン州  2村で歯みがき指導
      ピースウイングジャパン(PWJ) パアン事務所 ワークショップ
   8日  第8回こども無料歯科健診(ヤンゴン日本人会)
  12日 ヤンゴン障がい児学校・障がい児収容施設歯科健診
  14日 ダラー地区 HIV/AIDS患者自主勉強会 歯みがき指導
  19日 豊友会 近藤氏らと懇談
  22日 ヤンゴン盲学校 歯科健診・歯みがき指導
4月 4日 ドリームトレイン 歯科健診・歯みがき指導
  13日~19日 アマラプーラ、タウンジー、マグェー、ピィー 訪問

  30日 ツアーデスク ミャンマー報告会
5月 3日 福岡在住ミャンマー人 懇談会

5月26日~7月25日 ミャンマー
5月30日~6月2日 カヤー州  チャリティー治療・歯みがき指導
6月 5日 サクラレジデンス AED講習会
   7日 久保田歯科衛生士 歯科医師対象の歯科材料講習会 
  10日 DoReMi family school 歯科健診・歯みがき指導
  11日・12日 ヤンゴン日本人学校 歯科健診
  15日~19日 メッティーラ 歯みがき指導、マンダレー歯科大学
  21日 第9回こども無料歯科健診(ヤンゴン日本人会)
  23日 Dr.Than Htay(心臓外科医・日本へ医師研修派遣)と懇談
  25日 ヤンゴン日本人学校PTA 講演会
  28日~7月1日 ネピドー 公務員歯科医師対象研修会 講義
7月 4日~8日 タイ訪問
  14日 豊友会ヤンゴン事務所 近藤氏らと訪問
  16日 ヤンゴン歯科大学 シュエ トー学長 訪問

  30日 糸島ロータリークラブ 卓話
8月 8日 福岡 日本・ミャンマー友の会 交流会
  19日 糸島歯科医師会、糸島地区歯科協議会
  31日 西日本新聞  取材 (9月25日、10月2日朝刊掲載)
9月 1日 OISCA西日本研修所 訪問
   6日 RKBラジオ 「こだわりハーフタイム」 収録

9月10日~11月 6日 ミャンマー
9月12日 ダラー地区 HIV/AIDS患者自主勉強会 歯みがき指導
  14日 ミャンマーファミリークリニック&ガーデン(MFCG)
      名知氏と懇談
  15日 シャンティ国際ボランティア会 ヤンゴン事務所 訪問
  29日 ミャイン尼僧院孤児院・尼僧院学校 歯みがき指導
10月 2日~5日 カチン州 3か所 歯みがき指導
    7日 ブリッジエーシアジャパン(BAJ) ヤンゴン事務所 訪問
  10日 レーグー ミェッターイェイーミョー小学校 歯みがき指導
  11日 ドリームトレイン 歯科健診・歯科処置・歯みがき指導
  16日 福岡ライオンズクラブ 瀧野氏と懇談
  19日~21日 カレン州 2村 歯みがき指導
          PWJ 、AARJapan、Nicco パアン駐在員と懇談
           PWJパアン事務所 現地スタッフへワークショップ
  23日 Jivitada Sangha Hospital(仏教病院) 訪問
      パゴダの会 古庄氏と懇談
  27日~29日 ダウェー 訪問

11月13日 KBCラジオ 生出演
   14日 那覇市 ロイヤルミャンマー 訪問
   20日 福岡ライオンズクラブ 瀧野氏と懇談
   21日 九州ミャンマー友好協会(熊本市) 講演
   23日 福岡在住ミャンマー人 懇談会
   24日~26日 釜山歯科医師会会長 訪問(歯ブラシ製造の件)
12月 7日 西日本新聞 取材 (12月18日朝刊掲載)
   22日 地球市民の会(佐賀市) イベント参加
   23日 放課後等デイケア「こっしーらんど」 歯科健診と歯科相談
   

 
 




  





 

 今年1月に引き続き、我が家の近く(早良区室見)にある特別支
援学校に通うこどものための放課後等デイケア「こっしーらんど」に行ってきました。1月に比べ、こどももスタッフの数も増えていました。今日は、天皇誕生日の祝日で、クリスマス会ということで、ご家族も参観していました。折角なので、そのあとに歯科健診と歯科相談を行うことにしました。賑やかで楽しい時間でした。



 


 クリスマスなので、サンタもどきでの歯科健診。 こどもたちから「変なオッサン!」と、受けて(?)いました。歯みがき人形"はっうぽさい”、”パイン”の名付け親の子は、僕の顔をみるなり、「はっぽうさい!」と言ったのにはびっくり。


みんな、むし歯はゼロでした!!


ミャンマーの伝統医学での精神論的な病因は前回書きましたが、人も物質としてとらえる考え方もあるようです。ミャンマーでは、全てのものは4つの基本となる要素(ဓါကြီး ၄ ပါး
つまり、

အာပေါ  တေဇော  ပထဝီ  ဝါယော  から成りたつと考えられています。

施術者は、問診や視診に加え患者の体を、手で触ったり、足で踏んだり、木槌で叩いたなどして、病気を診断します。食事療法が主な治療法です。

例えば、“土”が多い場合:“水”と“風”を補います。最初の3日間は栄養အာဟာရを補うため、ヨーグルトなど乳製品を多く摂らせます。次3日間は、“水”を補うため水分の多い果物や野菜、そして次の3日間は“風”を補うために苦みのある野菜などを多く取らせ、このサイクルを症状が改善するまで繰り返します。“火”の塩分が多いものは“土”を固めるため厳禁です。ちなみに“土”を補うものは、コメや麺類などのでんぷん質です。

中国伝統医学の陰陽五行説に基づく以類補類とも似ていますが、インド医学の影響が強いようです。また、施術者によりかなり考え方に差があるようですが、何か納得できるような気がします。

 

今年3月に引き続き、ミャンマー東部タイと国境をなすカレン州に行ってきました。今回もカレン州で水事情の悪い地域に井戸を掘って水を供給している日本のNGO団体ピースウィンズ・ ジャパン(PWJ;http://peace-winds.org/)の協力を得ました。タイ国境に近いミャッレーミャインとコータホーという2つの村を訪問しました。カレン州は、カレン族の民族軍がありミャンマー国軍との緊張関係が今も続いているということで、訪問に関しての手続きではPWJの皆さんに今回も大変お世話になりました。

残念ながら一部の生徒たちにしか教えることができませんでしたが、2つの村とも学校で行いました。また、水利委員のみなさんにも参加していただきました。最初は緊張していたのか皆さん強張った表情ですが、そのうちに打ち解け一生懸命に話を聞いてもらい、きちんと歯みがきをしてもらいました。もちろん、貴重な水ですからうがいの水は、植え込みの木にかけました。
     
     
    
    
     
前回も随行してもらった現地スタッフには、僕の指導のポイントを理解してもらえたようで、いっしょにこどもたちに指導をしてもらいました。
     

 

訪問指導を終え翌日、PWJ事務所で口腔衛生を通じての健康作りについてのワークショップを開催しました。口腔内をきれいにすることで体全体の健康に役立つことの理由、歯みがきの正しいやり方、大きな歯ブラシを小さくする方法や裁縫糸を使っての糸磨きなど、現状に即した指導の仕方などを話しました。PWJ現地スタッフに加え、同地で少数民族のプライマリー・ヘルスケアと衛生環境改善支援に取り組むNGO団体 日本国際民間協力会 (NICCOhttp://www.kyoto-nicco.org/project/support/myanmar001.html)、そして難民を助ける会(AAR Japan ; http://www.aarjapan.gr.jp/)の現地スタッフの皆さんにも参加していただきました。来年からはこれらの団体との連携を深め、さらに活動の輪を広げたいと思います。

 将来僕がこの地にいなくても、ミャンマー人の手で、最も安上がりで手軽、でも効果的な健康づくりの方法として、多くの人々に歯みがきの大切さを理解してもらい、実行してもらえることを願っています。

 

国際医療NGO団体ジャパンハートの運営する児童養護施設ドリームトレインを、2012年11月から訪問しまる4年になりました。訪問12回目となる今回、全員208名の歯科健診を行ったところ、口の中の状態は格段に良くなっていました。
  
 残念ながら歯石が付いているこどももいたので、ミャンマー人歯科医師のY先生に、超音波で取ってもらいました。しかし、初回健診時は同じ歯石でも歯全体にべったり張り付いて、歯が見えないほどでしたが、今回は下の前歯に少しだけの歯石で、簡単に取ることができました。歯みがきもほとん全員が上手にできていました。もう少し頑張ってもらいたい数名の子だけに、歯垢染色して個別に指導しました。指導は日本から来てくれた歯科衛生士のKさんにお願いしました。むし歯や歯の生え変わりの問題で歯科治療が必要な子5名(うち、むし歯は3名)は、知り合いの歯科クリニックで後日治療をしました。
  
 

 

 今までは34か月ごとに訪問していましたが、みんなが頑張ってくれたので、これからは年2回の訪問に切り替えます。その分、他の施設への訪問を増やしたいと思います。
みんな、ありがとう。これからも歯みがきをよろしく!

 

 今年9月に初めてミャンマーに来た家内の元同僚の日本語教師Tさんから、ミャンマー人の女性教師ティンティリさんを紹介されました。ティン ティリさんは、2007年から1年半、福岡教育大学に国費で留学していたそうで、九大での日本語研修で先生だったTさんと知り合い交流が続いているそうです。
 キン ティリさんは現在、ヤンゴン大学で教鞭をとる傍ら日本語学校などでも日本語教え、休みの土・日になるとヤンゴン中心部から北に車で2時間ほど離れたレーグーという町の外れにある小さなガーズタゥン村の小学校に通っています。
その村は、主な産業は農業ですが、学校がなくキン ティリさんのお父さんが、私財を投じて建てられ、そのお父さんの死後は家族で運営しているとのことです。

  
        ぬかるみの悪路を通り抜けると、ミェッターイェイミョー小学校はある

 学校の分類は私立小学校になりますが、村の生活は決して豊かではなく、また片親や孤児なども通っているため、そこで教える先生たちはボランティアだと言います(以前にも書きましたが、公立学校の先生の給料は極端に安く、ほとんどの先生は私塾を開いて生計を成り立たせているのですが…)。現在は、グレード1(5歳 幼稚部)、グレード2(6歳 小学1年生)の60名が通っているそうで、月謝は1月5000チャット(約500円)だそうです。
 僕も定期的に訪問し、歯みがきや衛生教育指導に協力することにしました。今回は、僕の元教え子の歯科衛生士のKさんが、日本から有給休暇をとって参加してくれました。これからも定期的に訪問の予定です。
    
  右端がティン ティリさん     覚えたてのミャンマー文字を指で追いながら
 
   
    
 僕は金銭的な寄付はできませんが、代わりに”健康”のドネーションをします!

   
 
     
            この輝く瞳と笑顔が、僕への最高の報酬です
 
 
 
 

 
 
 

 避難住宅での歯みがき教室を終え、町から山道に入り、途中旧日本軍が作ったという木の橋を渡り、山の中の教会へ案内されました。そこの庭には、第2次大戦中の不発弾が教会の鐘として今も使われていました。また、この村は、最近電気が通るようになったとのことです。

    旧日本軍が作った橋

      
 牧師さんを紹介され、近所のこどもにも歯みがきを教えてもらいたいとのことでした。余分の歯ブラシを用意していたので了解し、こどもを集める間、旧日本軍の使っていた塹壕が近くにあるというので、僕たちはそこに行くことにしました。

  
  
こんもりとした林の中に、人ひとりがやっと入れるような入り口があり、中は広いということです。今はコウモリの巣になっていますが、当時は中には病院もあったとのことです。当時ビルマの野戦病院では、食料や兵器などの後方支援は絶たれ、もちろん医薬品などは無かったので、治療はできず、多くの人は栄養失調と病で死を待つしかなかった。重傷を負い治る見込みもなく苦しむ兵士には、安楽死させるための麻薬や銃弾すらなく、今思えば残酷な方法で・・・。インパール作戦に参戦した福岡県久留米市の元軍医 丸山豊氏の書かれた従軍記「月白の道」の一部をふと思い出し、僕の足が立ちすくみ、壕の中には入れませんでした。
 
 教会に戻ると、最初は15人と聞いていたこどもが、40人ほど集まっていました。歯ブラシが全員にいきわたるかどうか心配でしたが、何とか足りました。僕は、不公平感を持たせないために、全員分そろわないものは、最初から出さないと決めています。もちろんミャンマー語は通じませんでしたが、何とかやる気になってもらえたようです。
  
   

 翌朝、今度はモーガウンから列車でミッチーナーに戻ることにしました。あさ4時半から6時半の間にモーガウン駅に着く、と何ともいい加減なスケジュールでしたが、6時前に乗ることができました。車窓からの風景はよかったのですが、行きの車と変わらないくらい左右・上下の揺れが激しく、2時間の”ダイエットトレーニング”の後ミッチーナー駅に着くと、さすがに空腹感を覚えました。


車窓からの景色


 今回のカチン州の訪問は、何か不思議な力に導かれてきたような気がします。
こちらの仏教でいう前世があるとすれば、僕は、戦地に送られ患者を診ることなく空腹と病に倒れ、”今度、平和な世に生まれ変わったら、地位も名誉もお金も何も要らない、ただ腹いっぱいに食べれて、目いっぱい診療がしたい” と願いながら、この地で逝った歯科医だったのかもしれません。
当時何日もかかって行軍したであろう、そして二度と戻ることのなかった道のりを、わずか3時間ほどで無事ヤンゴンに戻ってきました。

 
 
 
 
 
 

 

 
 
  
 
  

  国際支援で、民族間紛争に巻き込まれ逃れてきた人(カチン州へ その1を参照してください)が住む仮設住居に併設された学校での歯みがき教室。今年から始まったそうで、みなピカピカの1年生。ここではミャンマー語ではなく、カチンの言葉(ジンポー語)による授業が行われているとのことで、極めてまれな学校です。歯みがき教室の後、そこに住むこどもたち全員へ、日本から持ってきたシャボン玉のプレゼントをしました。みんな大喜び、でも我先にシャボン液を奪い合っていたので「ジュンバン!ジュンバン!」と並ぶことも教えました。ちゃんと並んでシャボン液を取ることができるようになりました。ミャンマー語が通じず困りましたが、ジェスチャーとヌーヌーさんの手助けで何とか切り抜けました。

  
   
   
       歯みがきの後のうがいの水は、植え込みの木にかけてあげました。
 
   
 この子たちの未来は,シャボン玉みたいにすぐに消えてもらいたくないですね、。
  
 
 
 
  

 ヌーヌーさんたちの運営する、モーガウンYMCA孤児院&学校で、歯みがき教室を行いました。その中にはAIDSに感染したこどもも含まれます。この地区のHIV/AIDS患者は、MSF(国境なき医師団)が医療支援を行っているとのことで、今回孤児院以外のこどもや療育者も初めて参加しました(のちほどの話し合いで、これからは毎月1回コラボで、歯みがきも含め衛生教育を行うように決めていただきました)。口をきれいにすることは、むし歯予防だけではなく、AIDSの薬の副作用である口内炎や舌炎などを少なくすることも伝えました。
 歯みがき教室の後、MSFのボランティアの先生とゲームを楽しみました。また、目が不自由ですが、ギターと歌が上手なお兄さんも加わって、みんなで大合唱。カチンの人たちは声がきれいで、歌がとても上手です。
              何よりも、みなさんの笑顔をご覧ください!

  
   
       変なおじさんの変なミャンマー語をわかっていただき感謝!
 
  
 
  
 笑顔がいっぱい、でもむし歯もいっぱい。

 
 

  
今年7月の大雨で、階段のすぐ下まで水につかり
水浴び場が使えなくなったそうです。
 

 今回は、初めてのカチン州への訪問ということで、観光で入りました。ヤンゴンからマンダレー経由のプロペラ機で、カチン州の州都のミッチーナーに向かいました(2時間半ほどのフライトですが片道運賃は、外国人は200米ドルと決して安くはありません)。ミッチーナー空港の入管では、今回の目的、僕の職業、宿泊場所など細かく聞かれましたが、カタコトのミャンマー語で押し通し無事通過しました。






その日は、昨年まで福岡市の西南大学大学院 神学科に留学していたカチン出身のル サンさんの紹介で、いとこが経営するWun Tawp Motel(ここは空港からも近く、安くて綺麗でお勧めです!)に泊まり、翌日ミニバスで、ゲストハウスまで迎えに来る約束時間を2時間ほど遅れて目的地モーガウンに向かいました。



 モーガウンへは、ミッチーナーから南に車で2時間ほどかかりましたが、 途中の道路はタイヤがいつパンクしてもおかしくないような悪路でした。実際、パンクで立ち往生する車も見かけました。

 夕暮れ前にモーガウンに着くと、今回僕たちを受け入れてくれるヌーヌーさんと彼女の父親でモーガウンYMCA責任者ノージャさんが迎えてくれました。

ヌーヌーさんは、熊本YMCAの招きで熊本に今年5月まで、1年2ヶ月ほどホームステイをしていたそうですが、わずか1年ほどとは思えないほど流暢な日本語を話しています。明るいチャーミングな、でも芯のしっかりした女性です。彼女は、孤児たちのための教育施設をモーガウンに立ち上げたそうで、それを熊本の皆さんが支援されているとのことです。旧日本軍の足跡など近くを車で案内してもらったあと、夕食を取りながら、本当の訪問目的であるこどもたちへの歯みがき指導の打ち合わせをしました。

この町は、パッカンなどの翡翠鉱山で働く労働者が集まって出来た街とのことで、かつては麻薬常習者が多かったそうです。いまでも一部では麻薬が使われており、そのため、異性間の性的感染もですが、注射によるAIDS感染、そしてこどもへの垂直感染も多いそうです。

ヌーヌーさんたちは、そのようなこども、特に孤児への教育に力を入れているとのことです。

宿に戻る頃には町のほとんどの店は閉まり、あたりはすっかり暗く静まりかえっていました、ふと時計をみると、まだ午後8時前でした。


                     ・・・・・・・続く