2024年3月30日(土) 晴れ 風強し 





 夕べは仕事帰りにバスタ新宿から高速バスに乗り、夜遅く郡山に着き、郡山のホテルに泊まりました。

今回、二泊します。

 今朝は郡山9:02発新白河行きに乗り、白河駅着は9:37。 


 当時はどこにも「バスの1番乗り場は2ヶ所あるのでご注意ください」とか、JRバスと福島交通バスがあります、のような表示がなく、せっかく1番乗り場で待っていたのに乗ることが出来なかった、という悲劇が!

 まあ、そのおかげで気を取り直して須賀川に行き、お参り犬シロの話を知ったり、円谷幸吉の墓にお参り出来ました。

1964東京オリンピックのマラソンで、競技場に入って来たときは2位だった円谷が、衆人注目の中、外国人選手に抜かされて銅メダルとなり、オリンピックマラソンで銅メダルという輝かしい成績にも関わらず批判を浴び、そのせいかどうかはご本人のみぞ知る、ですが、自ら死を選んでしまい、私はピンクピクルスの「一人の道」を聞いて、賞賛されるべき人なのに悲劇の人になってしまったことを悲しく思っていました。今でもこの歌の歌詞を見ると、目頭が熱くなります。

しかし、須賀川に来て、地元では英雄として大事にされていることを知り、嬉しかった。 

 あれから10年、白河駅前はずいぶん変わりました。分かりやすい乗り場図も設置されてたし、当時はポツンとバス停が立っていただけなのに、行き先も明示されています。






 話は変わりますが、私は今回、新白河駅には行かないので、2013年に新白河駅前で出会った青年松尾芭蕉を貼っておきます。 




 当時のブログから引用
「芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出たのは46歳。今は46歳と言えば壮年、働き盛りですが、元禄15年の頃は46歳と言えばもう初老。今で言えば70歳ぐらいとか。」

 さて、予定どおり白河駅前10:10発のバスに乗り、白河の関前に降り立ったのは、ダイヤ通り10:41。運賃は670円。




このバスには4人しか乗っておらず、お一人は地元の方だったのか途中で降り、残り3人は同じ、白河関前で降りました。3人とも一人旅のようです。

私以外のお二人は、それぞれ、時間差で白河神社(白河の関跡)に向かいました。

私はバス停近くの白梅が綺麗だなあ、と思いつつ、早速「おくのほそ道」を歩く旅の続きを歩き始めます。

途中、常夜燈がありました。




10:54 庄司戻しの桜


案内板の内容はこちら
https://asiandream0804.hatenablog.com/entry/2024/03/31/185308




林誠司の俳句オデッセイ
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498747469.html




から引用させていただきます。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


佐藤庄司(さとう・しょうじ)とは佐藤基治(さとう・もとはる)のことである。

「庄司」というのは「荘官」のことで、「荘園」の管理者である。

簡単に説明すると、自分たちの手で田畑を切り開いたのだが、当時、いろいろと朝廷や権力者から難癖をつけられたり、外敵によって奪われたり、と不安定だった。

そこで貴族や有力寺社に土地を寄進してしまう。

そうすると、一定の「上納」をすれば、そこの実質的所有者になれた。

当時、そうするしか土地を保てなかったのである。

その不満が鎌倉幕府が生まれる大きな原因となる。

だから、簡単に言えば地方豪族、つまり「武士」の原型である。


源義経が奥羽藤原氏の元で庇護されていた時、兄の源頼朝が伊豆で挙兵した。

頼朝の軍へはせ参じようとした時、佐藤庄司は二人の息子を義経に随行させた、それが継信・忠信兄弟である。

1180年(治承8年)のことである。

その時、庄司はここまで見送りに来て、桜の杖を地に刺し、


汝ら(兄弟のこと)忠義の士たらば、この桜の杖が生きるであろう。

と言ったという。

実際(かどうかわからないが…)この桜の杖は成長し、桜の木となった。

兄弟も大活躍し、最後は二人とも義経のために死んだ。


その桜が写真である。

江戸時代に野火で焼けてしまったそうだが、そこからまた桜が自然と生えたのだそうである。


↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


以前は判官贔屓という言葉は嫌いで、多少ヘソ曲がり、天の邪鬼的気質なので、自分は義経より、やっぱり頼朝が好き、なんて言ってましたが、日本人の血がそうさせるのか、一周回ってやっぱり義経が好き。

もしかしたら、敬愛する芭蕉翁の影響かもしれません。

たくさんの俳優さんが義経を演じてきましたが、私の中のベストスリーは、

1位 尾上菊之介(現、菊五郎)

2位 滝沢秀明

3位 菅田将暉


番外編として、タッキーの義経の牛若時代を演じた、子役の神木隆之介。


今まで県道76号線を歩いてきましたが、庄司戻しの桜からほどなく右へ別れる道に進みます。分岐点に「関山入口」の標識がありました。






そこから3分ほどで、右側に石塔群。




さらに進むと、石仏と石塔。





11:15 左折




そのすぐ先で社川の橋を渡りました。




関山が迫ってきました。





「おくのほそ道」を歩く旅 第23日目の2 関山 に続く



「おくのほそ道」を歩く旅 目次1
「おくのほそ道」を歩く旅第1日目から第20日目まで
https://ameblo.jp/asiandream70804/entry-12803370883.html




「おくのほそ道」を歩く旅 目次2
「おくのほそ道」を歩く旅 第21日目~