2024年3月12日(火) 曇りのち雨




昨日は仕事帰りにバスタ新宿から高速バスに乗り、夜遅く郡山に着き、郡山のホテルに泊まりました。

今日は午前9時頃から雨が降り始め、午後になると本格的な降りとなり、14:00頃は大雨マークなので、なるべく早くから歩き始めることにしました。

須賀川駅を朝7:05に出発。

須賀川は松尾芭蕉と川合曽良が七泊八日滞在した町。

そして、須賀川市はM78星雲 光の国と姉妹都市で、自ら、M78光の町と称しています。

私の日々の出来事を書いているブログに、M78光の町レポートを書いています。


さて、「おくのほそ道」を歩く旅須賀川編、下調べの段階で、次の5ヶ所を押さえればOK、と分かりました。

・神炊館(おたきや)神社 芭蕉と曽良が参詣。

・長松院 芭蕉が宿泊した相楽等躬の墓と等躬の句碑があります。

・可伸庵跡 等躬屋敷の一隅に住んでいた僧可伸の庵跡

・十念寺 江戸後期、女流俳人 市原多代女によって 建立された芭蕉句碑が あります。また、お伊勢参りをした犬のシロの墓、円谷幸吉の墓もあります。

・結の辻 芭蕉と曽良像

この他、乙字ヶ滝でも句を詠んでいますが、少し遠いのと、本日は雨になるので、乙字ヶ滝はパス。


芭蕉ゆかりの地で最初に訪れたのは長松院。




相楽等躬の句碑
「あの辺はつく羽山哉炭けふり 等躬」




本堂の裏手にピラミッドのようなもの。



てっぺんの観音様の左側、つまりこの写真の反対側に相楽等躬の墓があります。


相楽家の墓所。



「相楽等躬の墓」の木標が立っているため、その右側の墓石が等躬の墓、と思う人も多いらしいのですが、よく見ると大姉とか、婦の文字。女性の墓標でしょう。え、等躬って女性だったの?いや、違うはず。



結局どれが等躬の墓石か分かりませんでした。


相楽等躬 案内板



案内板の内容はこちら




次は、芭蕉と曽良が参詣した神炊館(おたきや)神社。






案内板の内容はこちら




社号標の文字が、山岡鉄舟の揮毫だそうで、案内板が出ていました。



案内板
「  山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)揮毫

天保七年(一八三六)生、明治二十一年(一八八八)薨

名は高歩(たかゆき)。通称、鉄太郎。幕末・維新期の剣客で、 一刀正伝無刀流の開祖。剣術に優れ書を能くした。 西郷隆盛を説き、勝海舟との会談を成立させ、江 戸城無血開城に貢献した。明治天皇の侍従を勤め、 子爵、従三位、勲二等に叙せられる。海舟、高橋泥舟とともに『幕末三舟』の一人。無私の精神を 貫いた剛毅武人型の模範として後世に名高い。
 この書は、明治十七年と推定される。  」


神炊館神社境内にあるおくのほそ道碑



案内板 「奥の細道碑について」



案内板の内容はこちら




高浜虚子の句碑



高浜虚子の句碑

「白牡丹といふといへとも 紅ほのか」
子規の高弟虚子の俳句中から、牡丹の町須賀川に相応しい牡丹の秀句として選句。小諸市高浜虚子記念館所蔵の掛け軸から転写したものだそうです。



「おくのほそ道」を歩く旅 第21日目の2に続く
 


「おくのほそ道」を歩く旅 目次
 


「おくのほそ道」を歩く旅 目次2