Day:3

タラート・プルー。

ラタナコーシン王朝による1782年のバンコク遷都前、トンブリ王朝時代にチャイナタウンだった街です。

バンコク遷都とともに多くの華人は、いまのチャイナタウン、サンペーンに移ったのですが、タラート・プルーにも一部の中国人が残り、ミニ・チャイナタウンのような街が形成されているとのこと。

 

20年以上も前、初めてメークロンの折りたたみ市場を訪れた前後に、この街のことを知りました。いつか行きたいと思いながら、チャオプラヤ川を渡ってトンブリ・サイドに足を運ぶのは、意外とハードルが高かったのです。

BTS(バンコク・スカイトレイン)シーロム線の延伸がトンブリを一挙に身近な存在にしてくれました。

 

私が泊まっていたサパーンタクシン駅からタラート・プルー駅へは、駅が4つの近距離なのですが、今回はあえて3つ目のポーニミット駅で降りてみました。ここからタイ国鉄マハチャイ線のタラート・プルー駅へ向かいます。

 

 

幹線道路沿いは近代的な装いをしていますが・・・

 

 

中へ入ると、ローカルな雰囲気がいっぱいで、楽しい街歩きでした。それにしても、こうした水路が縦横に流れる様子はトンブリ地区もバンコク側も同じですね。

 

 

タイでは、どこへ行っても、こうした小さな廟が目につきます。

 

 

生徒の体格から、中学校かなという感じでした。

 

 

けっこうリアルな描写ですね。

 

 

神様に踊りを捧げる廟なのですね。

 

 

個人的には観光地よりも、こうした普通の人たちの生活の場のほうに興味がわきます。現地の人たちが、どんな場所でどんな生活をしているのか。どんな料理を食べて、どんな寝床で寝ているのか、とか、

 

 

そう言えば、20数年前、メークロンの折りたたみ市場にアテンドしてくれた私の親友のお母さんはタラート・プルーの出身だったとか。お父さんは中国人商工会のような組織の理事をしていて、100%中国人の血統だったのですが、女の子はタイ人として育てられたため、アイデンティティは完全にタイ人でした。いっぽう、彼女の男の兄弟は中国人として育てられ、中国語を教わり、父親に連れられて中国に里帰りなどもしていたみたいです。

 

 

その彼女に、当時、「タラート・プルーへ行きたい」と言ったら、「あんなとこ、つまらない」と一蹴されてしまいました。あのとき行っていれば、いまのようなブームになる前に、先駆者として自慢できたのにと、ちょっと残念な思いがありますよショボーン

 

 

典型的なタイ寺院かと思いますが・・・

 

 

これは観音様でしょうか。タイ寺院に観音様は珍しいですね。やはり中国人の信仰が影響しているのでしょうか。

 

 

駄菓子屋さんみたいでした。奥の時計は11時をさしています。

 

ポワロ「ムッシュ・アルフォンヌ、犯行時刻の午前11時にあなたはどこでなにをしていましたか。」

私「その時刻に、私はタラート・プルー近くを散歩していました。この写真が動かぬ証拠です。」

ポワロ「なるほど、モナミ。これであなたの潔白は完全に証明されました。」

ヘイスティングス大尉「おお、さすがポワロ。明哲神の如き推理ですな。」

私「むむむむむ」

ザ・ピーナッツ「父さん、お粥ができたわよ。」

一同、どどっと崩れ落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイ国鉄マハチャイ線のタラート・プルー駅に来ました。始発駅ウォンウィエンヤイ駅の次の駅です。BTSシーロム線のタラート・プルー駅からは少し離れています。

 

 

ウォンウィエンヤイ駅の雑踏から比べればずいぶん長閑な風景です。

 

 

駅の売店ですよ。フォトジェニックですね。

 

 

長閑です。

 

 

駅ナカレストランもありますね(o^^o)

 

 

左が下り、マハチャイ行きの時刻表。右が上り、ウォンウィエンヤイ行きの時刻表です。上り、下りとも、約1時間に1本。1日4往復のメークロン線から比べれば、さすがに本数多いですねラブ