今朝、ピーポーン
となりました。

ところで昨年の夏頃、フリーペーパーに連載されていた
宇宙物理学者・佐治晴夫氏のエッセイがとても心に残ったので
そのページの切り抜きをずっと手帳に挟んで持ち歩いていました。
タイトルは「善悪の判断はどこに?」です。
要約すると下記のような内容です。
太平洋戦争中の食料物資枯渇を経験した筆者には
いつも心につかえる風景があるそうです。
スーパーマーケットの牛乳売り場で、
ほとんどの人が、棚の奥から賞味期限の長い牛乳を探し求めます。
それは、少しでも新鮮な品を買い求めたいという自然な行為ではありますが、
いったん家の冷蔵庫に入ると、
賞味期限が迫っている牛乳が残っているのに
新しく購入した牛乳に手をつけることはないだろう、と。
つまり同じ牛乳に対する評価はスーパーの棚にあるときと
家の冷蔵庫に入った時とでは反転するのです。
極論すれば、その時々によって、
正しい、正しくない、善悪の判断基準は変わるということです。
しかし、善悪の絶対的判断基準を持たないまま、
相手を「悪」と決めつけて自分を正当化したり、
仮想敵を創り上げて「白」「黒」をはっきりさせることで、
心の安寧を勝ち取るといったような
現代社会の特徴が生まれてくるのではないでしょうか。
筆者は、かつてダライ・ラマ法王と公開対話をした時に
「善悪の判断は、その場の状況だけで判断すべきではない。
ひとつながりの世界全体の未来にどう影響するかによって判断すべきである。」
と言われたそうです。
つまり、善悪の判断は“宇宙のヒトカケラとしての人間”という視点から判断しなさい、
ということだと思ったそうです。
現代宇宙論では、この世界に存在するすべてのものは、
138億年の遠い昔、一粒の光から生まれたものであり、
それが枝分かれした進化の先に私たちが存在しているということを
明らかにしているそうです。
すべては共存をしての存在ということですね。
もちろん、この記事を読んだ時は、
現在のような状況になるとは夢にも思っておりませんでしたが、
「すべては自然の普遍的摂理のなかに。」という
このエッセイのタイトルに対する答えが、心に沁みます。
今の混乱の先には必ず、新しい世界があるのではないでしょうか。
宇宙物理学も現代宇宙論も何もわかりませんが、
そんな気がしています![]()
ところで、佐治晴夫氏は音楽をこよなく愛する方なのですね。
このような記事を見つけ、興味深く読みました。
