黒い頭でっかちの

棒人形がピコピコと橋を渡る

ゲームウォッチが流行ったのは

もう40年以上前だ。



(静岡 安倍川からの富士)


私はどうしても買ってもらえず

友達に拝み倒して一晩貸してもらったりした。

そんな効果な電化製品を

一日貸し借りするなんて、

今だったら考えられないし、

親もビックリするだろうけど、

手が覚えて全クリするほど繰り返した。


手のひらサイズのゲームに子供が夢中になる

ということは

それまで娯楽のトップだった本やマンガが

首位を明け渡す幕開けになる。

ということは

実家の書店の売上が落ちていく始まりでもあった。


それでもその先、

パソコンやケータイが家庭に普及するとは

ほとんどの人が想像しない中で、

バブル景気もあり、

実家は漫画と参考書のコーナーを

増築した。


さらに祖父は長年の夢だった

出版社を立ち上げ、借りた倉庫には

とにかく在庫がたくさんあった。


親は子供に

あまりお金の話をしない人だったから

どのくらい苦しいのか分からなかった。

でも、明らかに私が高校の時あたりから

服を買いたいといってもなかなか

お金をくれなくなった。

友達とのつきあいもあり、

しつこくねだって、それでもダメなら

バイトをするといって

バイト自体もずいぶんごねて許可してもらった。


大学は地元で通えるところしかダメと言われ

私は中学受験も祖母の病気でさせてもらえなかったのにと父と大げんかして大泣きした。


倉庫の家賃がもったいないからと、

出版した本がいつのまにか処分された。

今思えば、増築増床や

本からデジタル機器への革命が

本屋の売上を減少させたかと思っていたが、

「明文出版社の本」の山が

私の進学を妨げたのかもしれない。


家計を支えていたエロ本の売上も

今はわざわざレジで顔をさらして

買う必要はない。

趣味の移行は商売の形態をも変えていく。


実家は80の母がほんの少しの雑誌と

常連さんから仕入れた古着や小物を売って

続いている。

まわりの書店はほぼなくなっているけれど。