柴田錬三郎(1917-1978)と云えば「眠狂四郎」だろう。しかし私は「図々しい奴」だった。会社に就職し間もない頃、昭和35年だった。

週刊女性に連載され、光文社のカッパノベルズという新書版くらいの大きさの単行本だった。

なにしろ面白かった。内容は覚えていないが、記憶に残る場面が今でもある。

柴田錬三郎は岡山県の生まれで、岡山二中、慶応大学文学部出身で、作者の自伝的作品でもあるそうだ。


主人公の一人「戸田キリヒト」は大正8年に馬小屋で生まれたというみじめな出生(備前焼の老職人67才とその姪っ子19歳の間の子)で、変わった顔つきで身長は低くく容貌はよくない。母親と二人の貧困な下層の生い立ちである。もう一人の主人公「伊勢崎直正」は岡山城主(今は侯爵)の若様で、岡山一中から東大の学生で、左翼運動で検挙され蟄居の身となり国元に戻っていた時である。この二人が烏城の見える朝日川の堤の斜面で出会うところから戦前、戦中、戦後にかけての二人の生き方が転開されるのである。若様はこの少年の生い立ち、貧困の下層民であることを苦にせず、また上の者や権威というものに忖度せず自らを主張する真っ正直な性格が気にいり、応援していく。

母を亡くし一人になったきりひと烏城よりおおきな城を造ることを夢見て東京に行った若様のもとに行き、紹介状をもらい仕事探しをする。

 

皇室御用をいただく菓子屋(ようかん)の黒やの小僧となり、真面目に一生懸命働く。

 

独立して、近衛師団にお菓子(ようかん)調達の権利を獲得し、おおいに業績をあげた。

 

その後赤紙が来る。召集され、衛生兵として、南方出征する。さ輸送船が沈没するが、救助され、日本に戻り終戦となる。

 

戦後は軍隊の砂糖を持ち帰り、闇市で儲けながら、アメリカの将校に交渉し、絨毯の調達を考え、大阪堺市の織物業者を組織下し生産性を上げ事業を拡大していく。。

 

このような学問はないが、知恵と不屈な精神力とあらゆる機会を利用する実行力で生きていった下層の男の物語である。大正時代から昭和の戦前、戦中、戦後を客観的に知ることもできる小説でもある。そして戦争で失ったもの、得たもの、精神面を含めて考えさせられた小説でもあった。

 

柴田錬三郎は凄い作家である。

写真 つば時黒だけの高山植物