可愛くもあり、淋しさも感じさせられ、忘れられない童謡の一つです。

 

 

「さっちゃんはね「幸子」と云うんだよ、本当はね だけどちっちゃいから自分のこと「さっちゃん」と呼ぶんだよ、おかしいね」の中のさっちゃんのことです。が

 

 

私の周りには二人の「さっちゃん」がいました。

 

 

一人は対象12年の生まれで、神楽坂の待合の家で育ち、当時としては珍しい、共立女子大学の出身である。粋なところがあって、また物知りの女性でした。私は「幸子叔母さん」と呼んで、大好きでした。戦後間もない頃結婚し、池袋の一軒家に、大学生を下宿させながら義父と子供と住んでおられた。

 

 

実家では知ることのなかった色々のことを教えてくれました。

もう一人は実家の隣に住んでいた、の幼馴染の「さっちゃん」です。同じ昭和11年生まれだが、私の方は早生まれで学年は一つ上だから遊ぶ時は私がお兄ちゃんのようにふるまい、さっちゃんは妹のように私の後をついてきた。

 

戦後それぞれ疎開先からもどり、私が小6、さっちゃんが小五の時、夏休みの宿題で、彼女は何かの研究をパネルにまとめて発表した。私の方は遊びに夢中べベいごま、メンコ、野球の三角ベースに興じていたので、学力の差を感じた。さっちゃんはもう私の妹分でなくなったのであることに気が付いたのです。夏の終わりであった。

 

 

彼女は赤坂の名門、山脇女学校に進み、東京女子薬科大学に行った才女である。前後するが、この童謡の作者は大阪生まれで、芥川賞作家坂田寛夫だということをこの年になって初めてしった。

 

写真 東京 お台場の自由の女神