戸江戸っ子シロシの関西の歩きは北摂と阪神間ときわめて狭い範囲に限られている。大阪の南の方は地理の知識も乏しい。今、司馬遼太郎の「街道を行く」を読むんでいるが、その中に「河内の道の章で、興味を沸かせているところです。

 

東京人の「河内」の知識は今東光の小説の範囲内だろう。歴史的には楠木正成の生地であるとか、高校野球で活躍した桑田や清原のいたPL学園のあるところ河内だといえばなんとなく分かるようなきがする程度だろう

 

大阪の西南とならを分ける山脈の生駒山、二上山、葛城山、金剛山が聞きたから南に連なっている。のその西一帯が河内というらしい。

 

奈良の王朝のあった大和盆地とは山を隔てて隣り合わせの地理になるわけだ。その昔には河内王朝もあった所と知って私は驚いた。

 

現在の地図で言うと四条畷市が北丹で北河内という。東大阪市、八尾市周辺をが中河内と云い、富田林市、河内長野氏が南河内になるそうだ。

 

そういえば若い頃四条畷には豊中からゴルフにいったこと、家探しに南海電車の高野山いきに乗って河内長野まで行ったことを思い出す。いずれも大阪のはずれのような気がした。 

 

葛城さん、金剛山から大和に入る県境超えの歩きをしてみたかった。

 

写真 芦屋浜の東公園のつつじが満開になっていた。この連休です。公園の北の案内板のある一画がつつじだ楽しめるところです。

 

 

 

写真2 つつじの十路地です。