東海道線に芦屋駅の開設は大正2年です。阪神芦屋駅に遅れること8年、時の精道村が用地3000坪、工事費1万円を寄付、請願して、西宮と住吉川の間に芦屋駅が誕生した。

 

今回も昔の記録・写真を求めての 芦屋資料探索記 です。

 

 探索の前に、こんな写真を撮りました。娘の家の庭に、彼岸も過ぎ、金木犀の花と香りが始まった頃、珍しいゴールドの曼殊沙華が数本咲き出しました。その1本を失敬しました。

10月初旬に咲いた彼岸花

                                         10月13日撮る

 

 本題です。今泉三郎著「芦屋物語」 (昭和48年2月発行) によると、大正11年10月に駅舎が完成したとあります。

 下の写真はその頃のプラットホームでしょう。平仮名の「あしや」の駅名が確認できます。対面式2面2線。写真は駅舎の位置から見て、西から東方向を撮ったものと思われます。前方に待合室があり、当時としては目を見張るようなものでしょう。

昭和初期の芦屋駅プラットホーム

                              芦屋市発行「芦屋今むかし」より

 

開設の大正年代の駅舎の写真を見つけることは出来ませんでしたが、次の昭和 6年のものが大正時代のものと考えていいのではないかと思います。

昭和6年の駅舎と広場

                                今泉三郎著「芦屋物語」より

 

 次の写真は、芦屋市の小学生が使っている社会科副読本「わたしたちのまち芦屋」で、今と昔の芦屋駅を取り上ているものの一つです。この写真の見出しには「国鉄(今のJR)芦屋駅」とあり、実に正確な記述だと思いました。横道にそれましたが、これは昭和 6年の写真と同じと思います。

昭和10年頃の駅舎と駅前

               芦屋市教育委員会発行「わたしたちのまち芦屋」他より

昭和10年になると 駅前広場が賑やかになっています。バスは六麓荘町行き。黒塗りのタクシー2台が張り付いています。

 

昭和28年頃の駅

                       芦屋市:「芦屋今むかし」1990.11発行より

 芦屋駅も戦災に会ったのでしょう。上の昭和28年の駅舎は明らかに昭和10年とは違います。戦後の建設のものでしょう。駅構内に荷物か工事資材か 運搬用の起重機らしきものが むき出しで映し出されています。戦後の復興感あり、まさに高度成長の始まりの頃です。

 

昭和40年頃の駅(説明には初代と書かれています)

                           芦屋ステーションビル(株):「モンテメールの10年」1990.10発行より

 平屋の駅舎です。庇辺りに「芦屋駅」の看板があります。待機のタクシーは阪神タクシーか相互タクシーか?よく読み取れません。駅舎角には芦屋市に今なお多くある、赤色の  丸いポストがあります。復興の進む昭和の駅舎です。

昭和40年初めの駅前通り

                      芦屋ステーションビル(株):「モンテメールの10年」1990.10発行より

 上は、今の駅ビルモンテメールと駅前の商業施設ラポルテの間の道路である。阪急バスの停留所がある、車は少ない。何の変哲もない普通の駅前道路の風景である。

 

ロータリーに整備されてきた駅前

           芦屋ステーションビル(株):「モンテメールの10年」1990.10発行より

 

 蛇足、現在の芦屋駅の駅長室は駅ビル3階の改札口前、みどりの窓口の隣にあります。