メジロ | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 


 

この春


学んだ事。

 

 

小さなピークを


見逃さない事が肝要。



誰でも気づく


大きなピークの頃には


メジロも散り散りよ。

 

 


 

(桜の季節とか、満開だらけに

 なったら其々の木に散り散り。)

 



 



 

 

 

 


限られた満開の木に


集うメジロの姿は


賑やかで、



なのに切なくて

 

侘び寂び。






それから、






満開過ぎた


花弁落とした姿。

 

それを例えば


 

 

 

 

 

経年劣化と見るか、


経年変化の美しさ


捉えるか。



そう捉えられる


心そのものの価値も


謳う、侘び寂び。










更に


人が忘れて行く事も


年齢なり、時間なり、の


個人の経年変化。




ここで言う、時間。


散歩の間、みたいな


短い時間中にも



見て感じて


直ぐにふわりと


忘れる。




これも


生きる為の技術、と思う。


それを身につける。探す。


それすら人の姿として


切ないね。









切ない、は


否定の言葉で無い。



どこまでも


侘び寂び。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


染井吉野の開花は


先月か先々月かの


予想より遅れてる。

 

 

 

だけど、


その前にメジロが


数少ない満開の桜や梅や


何がしかの木に



餌を求めて懸命に


集う姿は、華やかで


切羽詰まって、切なくて、


可愛くて。

 

 

 

 

 


 

写真は1月8日の余り。



今より寒い朝に


今日より少しでも眠れるように


との想いも抱きながらの散歩。








侘び寂びは


本来は過去の栄華との


対比を持って使う言葉


なのかもしれないけど




未然、の


栄華の前、の


頼り無い中の懸命さにも


近しいものを感じる。



可愛いは切ない。