無形 19日(日) | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りない物を補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いてたけど、20年から朝散歩の事等を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

「伝統文化」というものに

 

興味があるのかと問われたら

 

「そういうわけでもない」。

 

 

では「興味がないの?」と

 

問われたら「かなりある。」

 

 

 

 

 

 

 

 

1月19日(日)に行ってきた

 

ポーラミュージアムアネックス

 

 

『 無形にふれる 』

 

 

 

伝統文化の中において

 

私の興味は種類が限られます。

 

でもここにあるのは

 

その限られたもの達でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに「無形」とは?

 

 

伝統文化の中で

 

作品・・物体・・として

 

後生まで残る物も数多あるのに対して、

 

 

それに携わる人が亡くなったり

 

した時点で「消え去る」危険性が

 

あるのが『無形』

 

           ・・・よね?

 

 

 

(今は「映像」という手段も

 

 あるけど、それには

 

 その場の空気・雰囲気は

 

 映らないので、【芸能】の

 

 中では、その「映像」と

 

 いう手段がこの世に生まれる

 

 前から存在しているものは

 

 『無形』なのだろうと私は理解。)

 

 

 

 

 

 

 

だからたとえば上の写真の中の

 

「能・神楽・舞踊」は

 

誰の目で見ても『無形』だけど

 

 

 

 

作品として後生に残る【工芸】

 

(ここでは九谷焼、 )でも

 

その技(わざ)に関しては『無形』。

 

 

 

 

だからその『無形』の部分に

 

注目して見ましょう!

 

・・・という

 

 

 

 

事だったんだろうなあ・・・と

 

今、思ってます。

 

 

更にそれを

 

「12感覚で読み解いてみてね!」

 

というのが今回の展覧会。

 

 

 (以上私的解説でお届けしました!)

 

 

 

 

 無形の凄さ。例えば




 

私がずっと習ってみたい

 

能の「お仕舞」。

 

 

代々口伝で伝えられて来た形を

 

真似る事から始まるそれは

 

 

表情は抑えられているのだけど、

 

(悲しくても涙なんか

 

 もちろん流さないし)

 

 

( か・な・し・い )

 

 

 

これ以上口角を上げていたら

 

「悲しい」気持ちに見えない

 

ラインがきっとあるのだろうし、

 

 

 

視線の運び方、ひとつでも

 

ポジティブに見え過ぎたら

 

「悲しみ」が軽く見えてしまう、

 

 

かと言って重々しくし過ぎても

 

かえって軽く見えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

それを弟子に伝える時、具体的に

 

「何ミリ下に・・・」とか

 

言うのかな?



 

 

 

 

いえいえ。そういう事も

 

あるのだろうけど、


(最初は弟子に)

 

機械的に一寸たがわず真似する事を

 

求めるのだろうけど、

 

 

その中でお師匠さんが弟子の中に

 

「いい形」を見つけたら

 

「OK!」って言うのでしょうね。

 

 

たとえ自分の「手の位置」とは

 

少し違っても、

 

弟子の姿を全体として見た時に

 

その弟子の身体性なら

 

その「手の位置」の調和が

 

取れているから・・・とか。

 

 

 

 

お師匠さんの中の感覚でOKなら、

 

そう言うのでしょうね。


その感覚を培えている事が凄い。


無形の凄さ。

 

 

 

 

 


そして、絵付けの技。


こちらは

 

掌に収まる大きさの品に

 

細い線でびっしりと描かれています。

 

 

 

試してみたら私も細い線を描く事、

 

出来ました。

 

でも何本も繰り返し描くうちに

 

失敗もするだろうと思いました。

 

 

そうしたらそこで

 

この品はダメになる。


・・ダメだこりゃ。

 

 

 

 


説明をちゃんと読まないで


帰って来ているので


学芸員さんの狙いとかけ離れて


いるかもしれない私的考察。




 

 

(活字があまり得意ではないのです。

 

 嫌いではないのだけど

 

 活字がびっしり並んで面になった

 

 時に受けるストレスがどうやら

 

 人より強そうだと気づきました。

 

 手書きの文字なら平気です。

 

 でも、「読みにくい」とも思う。

 

 勝手ーーー。)

 

 

はい。ここまでもまた私的解説。

 

でももうちょっと続けますー。

 

 

 


そうそう、 もういっちょ。


 

伝統芸能の中には

 

限られた一部の人のものではなく

 

 

大衆の中で揉まれていったものや、

 

 

芸術や娯楽の範疇から抜け出ている

 

・・・神楽のような宗教的な物も、



 

あります。

 

 

(能楽だって元々は

 

 そこから派生してるのだけど。)

 

 

 

 

後者なんかは特に

 

無事に生活できることを

 

願ってのことだから細かい形は

 

関係ないようで、でも実は命がけ。

 

天候に恵まれず

 

お米がとれなかったら困るから。

 

 

神様に奉納するのだから

 

儀式は命がけ。

 

 


命がけ。

 

その土着的で逞しい芸能の中では、

 


1年前に私もこちらで書いている

 

島根の神楽に再会できて次第です。



この大蛇を見ると


テンションが上がる!

 

 

 

 


それから会場の1番奥に

 

 


 

能面!!!

 


係の優しいお姉さんもセット!!

 

 

 

 


大きな人には

 

小さすぎるね。

 

 


私には

 

大きすぎるね。

 

 

 

(係のお姉さんの目もあってちょっと

 照れる般若。お面をつけてくれた

 お礼にお姉さんに笑って欲しくて

 勝手にプレッシャーを感じてる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

したい事を昨年より出来る1年に


したいなあ。

 

 

 

大きな人は

 

「やんなさい!やんなさい!」


と言います。

 

(自分もやっているので。)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、偶然にも

 

昼間の骨董市での中心的な探し物は

 

赤絵の陶器でした。

 

 

「赤いのは高い」という

 

親からの教えは今までの私を


廉価でいて、尚且つ可愛げ


(ちんちくりん)のある物に

 

向かわせていました。


(例えば藍色の物とか、映えて


 使いやすいのに高くない。)


 

 

 

 

 

それは2人して

 

「おっちょこちょい」だったのもあり

 

合理的な選択だったけど

 

今年は赤絵の物もよく見たい。

 

(もちろん今までの傾向の物だって

 

 引き続き。)

 

それからここ数年来真剣に見始めた


・・・李朝の物も引き続き!

 

(言うてもうたー。でも使うのは


 流石に難しいかな、と今まで見て


 結論づけつつある今日この頃。)

 

 

 

 

 



骨董市に真剣だけど


すごく嬉しそうに集まる人々の顔を


思い出したら、


 

手に取る側の見立てと

 

作り手の人の技の両方が

 

「無形」なのかも、



と思い出しました。





それから


私のしたい事、


1番はなんなのでしょう。


わかっているようでわからない。


わからないようでわかってる。





ふふーん。


ひひーん。