鱚 | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

クリーム色の

 

(フリル)レタスの花は

 

朝のうちだけ開く花なのかも。

 

 

 

その様子を観察しながら今朝は

 

毎日の家事を平日のそれよりも

 

気持ちのんびりやりました。

 

 

 

 

 

昨日までの5日間。

 

今週も大変よく頑張りました。

 

 

 

私はやはり”普通の人”で

 

完全に「無」になり消えていく

 

だけの毎日よりも

 

何かしら形に残るものがある

 

毎日が嬉しいようでして。

 

 

(『いま、死んでもいいように』

 

 小池龍之介さんの著書を変わらず

 

 少しずつ読み直していて

 

 それと完全に相反すると

 

 いうわけでは無いのだけど、

 

 少し方向性が違うようなこの事を

 

 ふと思っちゃった。

 

 やはり私だって少し未来を夢見たい

 

 のだ・・・と。)

  

 

 

 

 

もちろん本を開いて納得の

 

日々ですし、

 

  

 

「そのうち開くかも知れない蕾の

 

 ような希望。それが

 

 ほんの少し生活の中にあれば

 

 花の無い日々にも欠かせない

 

 「水あげ」も

 

 「苦」では無くなるなあ」

 

 

と思ったり、

 

 

「種蒔き」をしながら

 

それがぐんぐん大きくなる

 

姿を想像する事くらいで

 

 

やはりそれはある程度

 

自然の成り行き任せの話な

 

わけですけどね。

 

 

 

 

(そうそう!

 

 花の無い鉢への水あげの為に

 

 毎日ベランダに出て、

 

 それをきっかけに

 

 その日、その瞬間の

 

 鉢の外にあるもっと広い世界の

 

 変化に「気付いて」、「驚いて」

 

 「嬉しい」事が一番大事

 

 だという事もよくわかってる。

 

 で、本を読むたびにうなづく。)

 

 

(そして未来にばかり期待しすぎる

 事、それ自体が「苦」だろうと

 なぜだか小さな子どもの時に

 すでに知っていたのです。

 未来が必ず来るわけでは無い事に

 気づいていたからかもしれません。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう風に未来と今とを

 

心が行き来するような週の最後

 

昨日の朝は

 

 

 

 

梨の皮をむく時間がなくなって

 

代わりにかくやこうこを端っこに

 

のせたお皿に

 

 

紫蘇味噌をのせた雑穀おむすび。

 

 

 

 

「明日はこれを食べよう」と

 

保存食をこれだけすぐに食べるのは

 

やはりきっと何か

 

心が「走っている」感じがあるから。

 

 

 

(この夏の暑さでは思い切って

 糖を使う事が多かったけど

 徐々に元に戻していきたいな。

 粗糖を使い切ったのでてんさい糖に

 戻しました。)

 

 

 

3食ともお米を食べたら

 

眠りが楽しい。(そして長い。)

 

 

それももう知っているから

 

夜のうちに人参とじゃがいもを

 

ベジブロスで煮ておいて、

 

 

朝は冷凍庫から出した

 

緑豆の水煮ともずくと塩を足して

 

スープに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(とうとう、一番素敵だと思った

 着物にハサミを入れました。

 布の方向が常識とはかけ離れて

 いる事についてはまた今度。)

 

 

 

「生まれて死んでいく、

 

 その毎日は基本的に苦である。」

 

 

(そう思うと少しの喜びも、

 

 ただ毎日「食べられる」事さえ

 

 全てが”有り難い”。)

 

 

という心は

 

仏教の教えでもあるけれど

 

 

もっと自然な形でも

 

「親から子へ」

 

「大人から子どもへ」

 

「感謝」という言葉で伝えられて。

 

 

私はそれをそろそろ

 

何かしら体現出来たらいいなあ、

 

と思い自分なりに「走って」ます。

 

 

ここのところ毎日はそんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の朝の人参とじゃがいもは

 

オーブン料理をする時

 

天板の空きスペースに入れて

 

焼いておいたもので、

 

 

これも

 

あまりにも沢山あった人参と

 

大きな人も大好きなじゃがいもへの

 

「感謝」になったらいいなあと。

 

 

(同じ日常でも、

 

 そうやって言い換えてみたら

 

 意味があるような気がして

 

 嬉しくて走っちゃった!)

 

 

 

 

 

 

 

共にその時の加熱時間では

 

中まで火が通らなかったので

 

こうしてまた煮る事になったけど

 

いつものスープとは違う

 

しっかりとした食べ応え。

 

 

(ここまで来たら大興奮!)

 

 

 

(暗い朝だったけど、新しい1日の

 訪れを知ってちゃんと開き始めた

 レタスの小花。)

 

 

今は毎日頭をうんと使っていて、

 

「そういう時には!」と思って

 

特にお米を多めに食べて

 

その力でぐっすり寝る。

 

 

(興奮した脳を落ち着かせるのに

 

 私には今は何よりもお米?

 

 一般的には

 

 断食、という手段もあるけど。)

 

 

 

それで迎えた週末の今日。

 

午後まだ明るいうちに「鱚」が6匹

 

と大きな人が帰って来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「未来」を思ったり、

 

 

自分を褒めたり肯定する

 

言葉を見つけ出しては

 

興奮したり、心が走ったり、

 

 

(自分に合っているようで)

 

『心が ” 充実 " する秋』なんて

 

喜んで能力以上に沢山のモノを

 

抱え込んだり。

 

 

 

 

この本を読んだのに私は今

 

(今の自分の状態にしては)

 

ちょっと走りすぎ。

 

 

でもそれに気付けたから

 

新しい型紙と向き合うのは

 

ここから先はまた元のペースで

 

時間をかけてやりましょう。


やっぱり興奮しての行動は


ちょっとねー。

 

 




鱚も2人でさばいた分は

 

くたびれている今日は食べずに

 

冷凍しました。

 

 

 

 

 

(あ!これもまた未来を見てる。)