ほうれん草カレー | あしたうさぎ の 散歩日和 ー と 衣食住、ときどき好きな事。ー

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旧タイトル
あしたうさぎの朝ごはん ー野菜ごはん、ときどき、好きなこと。ー

足りないものを補い身体を整える朝ごはん・・・の事を書いていたけど、2020年から以外の事を書く機会が増えました。写真の著作権は放棄していません。ご使用ご希望の際はご相談下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、家で数時間座りっぱなしで

 

「草」に触れていました。

 

 

 

「草」と言ってもそれは

 

命を終えたもの。

 

もうその緑はどこかへ

 

消え去ってしまったものですが。

 

 

 

 

 

 

 

いなくなってしまったんだ。

 

 

 

 

単なる「個性」でも、目立つ存在

 

でもなくて、

 

どれだけ卓越した才能だったか。

 

 

様々な役者さんや監督さんたちの

 

出したコメントに、

 

少なくとも

 

その側で同じ仕事を懸命にした人には

 

しっかりと見えている事がわかってきて

 

安心しました。

 

 

 

 

 

 

 

その昨日の私にできることは

 

たくさんの映像が残っている事を

 

あらためて嬉しく思いながら、の

 

リース作りでした。

 

 

 

完成までにはこの先もまだ、

 

材料を用意していく必要がありそう。

 

 

まだまだ途中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、7月13日(金)の朝の

 

ほうれん草のカレーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この材料についての記憶はもう、

 

私の頭からほとんど消え去ってます。

 

覚えている事だけ書いておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほうれん草はたしか、たまたま安くて、

 

嬉しくて。

 

唐辛子で辛いカレーを食べたくなるのは

 

夏なのに、ほうれん草は日本では夏はすごく

 

高いですからね。

 

 

 

 

 

そして、

 

書いておきたかったのはこれ。

 

 

 

普通はコロコロ白いチーズ(パニール)を

 

入れるところを、

 

この日私は

 

ひよこ豆と玄米酒粕で置き換えました。

 

 

 

 

それからもうひとつ。

 

 

 

トマトや、チリ、シナモンといったスパイスを

 

入れる事できれいな緑がくすんだ色になる事が

 

残念だなあ・・・と思うのに、

 

それでも味のためにしっかり入れる。

 

 

 

そういう、

 

どこまでも「花より団子」である事に

 

笑ったりしたんだったな。

 

 

「 ” オージャス " のためには作りたて。 」

 

 

それは土台無理だとあきらめて

 

夜のうちに準備しておいたら朝は楽だけど・・・

 

 

でも、たしかこの日は起きたはずなんです。

 

 

 

 

 

 

 

大方の準備はしておいて

 

すこしでもほうれん草の緑が残るようには、と

 

考えたはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おとといは、

 

ふと思い出して考え出すと涙が出てくる。

 

 

 

 

それは、

 

1日中ではないし、

 

1人でなくて誰かと一緒だったら

 

きっと大丈夫なくらいだったけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方には「これが今日できる事だから」と

 

散歩に行って、

 

今年も必ずと思っていた彼岸花の姿を

 

カメラに収める事が出来ました。

 

 

 

 

今年も、

 

認知症の近所のおばあちゃんが早朝に

 

そこらの草刈りをしてしまうので

 

それで多分最初の芽は

 

刈り取られてしまっていて。

 

 

でも、

 

つるつるになった地面から

 

アスパラのように彼岸花の芽だけが

 

伸びているおかげで今年も撮りやすくもあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっと数多く咲き乱れていても

 

よかったはずの花が、

 

少ない数で咲くのも現実。

 

 

 

ひなたぼっこしているおじいさんたちと

 

話をしながら

 

そのおじゃまをしないように

 

ささっと撮って撤収です。

 

 

 

 

 

(この日のヨーグルトには

 いただきもののレモンとミントのジャム)

 

 

 

 

そして眠れずにむかえた昨日は、

 

一旦、だけど

 

リースを夢中で仕上げました。

 

ベランダのハーブを中心とした植物の

 

茎や萼、葉。

 

 

 

 

食べきれなかったり

 

使いきれなかったものを貯めてきて、

 

これは越してきてからですから、

 

一番古いものでは3年以上前のものも

 

あるかもしれません。

 

その完全にドライになったもの達を

 

かつて矢車菊で作ったリースに、

 

重ねていくような形で固定していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希林さんはね、

 

子どもの頃からずっと私の視線の先にいて、

 

(私の側の心身の都合で)一度は

 

離れたような気持ちになる時も

 

あったけれど、

 

 

 

作品の中での

 

空間や時間の中での自分の客観的な見え方を

 

しっかり把握できる天賦の才能と、

 

明晰さが

 

本当は私にとっての彼女の魅力の全てです。

 

 

 

 

 

 

その上で、生き方においても、

 

感じ続け、揺れ続け生きてく中で

 

誰もが驚くような真理をついた

 

決してぶれない生き方を

 

いつしか打ち立てて。

 

 

 

その生き方が生んだ強さゆえの事でしょう。

 

「この先の未来のある若さ」だったり、

 

「真面目さ」だったり、

 

目の前の相手に守るべき価値を見出した時には、

 

優しさを一身に発揮する方だったことも

 

今になって漏れ聞こえてきます。

 

 

 

 

 

 

絶対的な生まれ持っての優しさの上に

 

これまでの人生で培って来たのだろう

 

人としての最上級のあたたかさも加味して

 

与えられる方だったのだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「価値なんてないのよ。」

 

そういうスタンスの言葉が多かったのは、

 

本当はとても価値のあることを

 

先人に見て学んだごく当たり前のこととして

 

さらっとやってきているから。

 

 

 

だから私にとっては

 

この1分1秒に価値があると思い

 

絶対的なのに自分なりな噛み締め方で

 

生きていけば

 

どこででも美しく

 

生きられるのだということを

 

もう一度思い出させてくれたこの1年でした。

 

 

 

やっぱり今朝もさみしいけれど、

 

ありがとうございました。