◆14日能海 寛研究会で、東洋大学渡辺章悟名誉教授の「チベット語訳般若心経と能海 寛の訳業」と題し講演がありました。13日はチベットセミナー、14日は年次総会にあわせ渡辺名誉教授の講演があったものです。能海は慶応4年(1868)金城町波佐の浄蓮寺に生まれ、大谷大学などで学ぶうちチベットの経典を手に入れようと、チベット行きを決意し、明治31年(1898)、同33年の2回は途中で断念し、3度目の明治34年(1901)には「チベット入りする」との手紙を最後に消息を絶ちました。

 

◆このときのちの調査で土賊に襲われ死亡したとされています。能海は蔵本や仏像類を地元に送り、浄蓮寺に残された能海の文書などとともに、研究会や研究者により研究が続けられています。研究の成果として会報「石峰」、多くの本などが出版されており(写真)、これらを郷土の歴史を知る、市の歴史資源として活用する、チベット仏教を学ぶ、などとして活用できないものか、私たちが考えるべきことのようです。