■今日(16日)は、故山根俊久先生の顕彰碑建立の準備会が開催されました。これは浜田市名誉市民でもある山根俊久先生の遺徳をしのび後世にその功績を伝えようと地元有志により発起されたものです。しか山根俊久先生と言ってもあまり知られていないのが現実のようです。
■先生はいまの日脚町の宮司の家に生まれ、島根県師範学校卒業後、大正14年から県立大田中学校に勤務され、その傍ら石見銀山の研究に没頭されました。休日は大森の山や谷を歩き遺構や史跡などを踏査する一方、民家などを探索し貴重な資料を集め、古文書を当たるなど精力的な研究活動を続けられました。
■研究の集大成として、昭和7年(1932年)「石見銀山に関する研究」としてまとめられ、この研究書は、石見銀山の研究の礎にとどまらず、日本の鉱山史研究の指標として高い評価を受けております。石見銀山が世界遺産登録された今、75年前から既に銀山研究をされていた先見の明に驚かされます。
■石見銀山のある大田市大森町には、教え子などが中心となって先生の顕彰碑が建てられています。世界遺産登録の陰に、浜田市出身の偉大な研究者の功績があったことを改めて誇りに持ちたいものです。残念なことは2年前の世界遺産登録の時に、浜田市や市民の中にこのような動きがなかったことです。