当時はホームスティ先の家族に、

部屋を覗かれ、持ち物を見られ

苛立ちと怒りしかなかったが、

今振り返ると、それも仕方のないこと

だったよなと思う。


その頃、私はハットンの町で唯一の

日本人だった。どこを歩いていても

注目を浴び、話しかけられ

珍しがられた。


おそらく、ホームスティ先のタミル人

家族が日本人と会ったのは、

私が初めてだったと思う。


そんな日本人が日本から持って

来た物を見てみたいという

好奇心を抑えられなかったのだろう。


ハットン生活も後半戦になると、

私も家族もお互いに慣れてきて、


「ミッキーの部屋にあった

シッダレーパ(スリランカ製

アーユルヴェーダ塗薬)借りたよ」


と、堂々と私の部屋に入り、

私の私物を使われるようになった。


私「この前のシッダレーパ、まだ返して

もらってないんだけど、まだ、ある?」


奥さん「あ、………あれ、使っちゃって…

あ、でも、私じゃないよ、えと、えと、

姑が使っちゃったのよ」


こんなやりとりしていた、

ハットンでの日々が、

今では愛おしく感じられる。