カトマンズ補習校は、ネパール社会を肌で感じさせてくれた場所でもあった。
やって来る子どもたちが、同じ日本人とネパール人の子どもたちであり、一緒にやって来るお母さんも日本人ばかり。ネパールの中で日本の居心地を味わえる場所であったが、そうでない時があった。
子どもたちの中で運転手付きの高級車に乗ってやって来て、メイドのネパール人にカバンを持たせてやって来る子どもが一人だけいた。
彼の日本人お母さんだけは、補習校に一度も姿を現すことはなかった。それが、なぜなのかはわからない。
後から聞いた噂レベルの話だか、彼のネパール人お父さんはネパールの航空会社の社長さんだとか。
どんなバックラウンドのネパールの人と結婚するかで、生活が変わってしまうんだと思った。
カトマンズに滞在していた頃