自分の身体の主人は自分だけなのだから | 芦田天文子〜千葉の健康運動指導士ブログ

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ストレッチポールを使用するクラスを週に3本担当していますが、自分で言うのもおこがましいですが、大変好評です。
 

(真ん中の黄色いのがストレッチポール 撮影・バランス銀座)

 

 

いずれも60分のクラスで、前半はポールを使ったほぐしとバランストレーニング

後半がポールを使ったピラティスの内容です。



前半に脚全体や股関節、肩周りをほぐすのでとても気持ちよく、ご参加の方には「1週間の疲れをリセットしたようだ」と嬉しい感想をいただきます。

 



ほぐすだけでは身体がブラブラになり、そのまま就寝なら良いのですが、そのあとエクササイズをしたり、日常生活に戻るにはちょいと体幹を締めて、肩や股関節の動きを活性化する必要があります。

 


それが証拠に、ほぐしてから後に行うピラティスのワンレッグサークルは(仰向けに寝て片足を伸ばして挙上し、脚全体で円を描くもの)脚が自分のものとは思えないほど重いんです。



どうしてか、というと脚を支える腹を中心とした体幹部が一旦緩んでしまっているからです。

 



その後、様々なエクササイズを行い、コアの力を取り戻し、最後に脚を上げてもらうとなんとも羽のような軽さ!



これが快適で整理券に並んでまでクラスに参加したいと思ってくださるようです。

 







ここ数年、フィットネスクラブの方でない、一般の方に様々な運動を教える機会があり、フィットネスクラブに来るモチベーションが高いお客様と、そういった所に来ない方との運動に対する考え方の違いというのを感じてきました。

 



私たち運動指導者は

「運動ってこんなに身体に良くて楽しいから、絶対にするべき!」と本気で思っています。

 


でも、一般の方は

「学校の体育の時から運動苦手だし…」

「時間ないし…」

「汗かくの面倒だし…」

「別にどこも今悪くないし…」

「なんかあのテンションが苦手だし…」

「いいのは分かるけど続かないし…」

なんて思ってます。その方が圧倒的多数。

 


じゃあ、

肩凝っていませんか?

腰痛くないですか?

疲れが抜けない毎日ですか?

何となく太ってきていませんか?

と聞くと、

「そう! それは何とかしたい!」

と言います。

 


その手段が、マッサージやエステサロンや、サプリメントや健康器具なのです。

 

 


運動苦手だし、疲れるし。

痩せるのわかってるけど取り組めない。

なんかかったるい。

 



フィットネスクラブはそういう低体力者を

「スキルの低い初心者」と括って


簡単ならできますか?

レッスン時間が短ければできますか?

ヨガならできますか?


という商品構成にしがちだけれども

(例えば「はじめてエアロ」「らくらくヨガ」など)



短くたってヨガだって簡単だってやりたくないのです。

 

 



そんな人たちが、あれだったら出来そう、って思うのがポールらしいのです。


傍目から見ると寝るだけみたいだし(実際はそうじゃないのだけれどw)



うっかり参加しちゃったら前半は悶絶するくらいほぐすんだけど



最後は肩こりも腰痛もすっきり!夜もよく眠れる。



生活の快適さが変わり、マッサージに行く代わりにまた参加しよう、となる訳です。



実際、私のレッスンはマッサージ卒業生が多いのです。

 

  




運動したくない人は心も身体も、運動を出来る準備が出来ていません。 


仕事でとても疲れてしまっていて抑うつ状態だったり、運動と聞くと拒否反応が出たりする人も多くいます。



そんな人たちにもフィットネス(総合的な健康)に取り組んでいただくためには



運動、からではなくて

不定愁訴解消というアプローチをとった方が響くようです。




 

 

 

お寺で開催している運動教室も

最初は運動教室ではなくてひたすらほぐして

コミュニケーションを取って

体を動かすことへの抵抗感を払拭し

気持ち良さを感じ

参加への前向きな気持ちと、身体感覚を取り戻す事に注力しました。

 



指導者のみなさん、
もし一般の方向けに何か教室を開催していて
集客がイマイチ、ということがあったら

運動を押し付けていないか
という事を考えてみてください。

運動は「それ自体が趣味」の人を除いた多数の人たちにとっては

目的ではなくて手段なのです。
 


何となく体の調子が優れなくてマッサージに依存している人はたくさんいます。


人にやってもらうマッサージも良いとは思いますが

自分の身体の主人は
自分だけなのだから


気にかけてやり慈しみケアできるのは自分だけなのだと、主体性を持って生きていけるといいなぁ、と思っています。


それに寄り添えるような指導者でありたいとも思っています。