【ポンドツーリスト】江東区の芭蕉記念館「石の蛙」を訪問するツアー | アシモモ~のブログ

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ポンドツーリスト社長のボンドです。アシモモ~のブログを間借りする形で、ツアーの記録を掲載しています。最近は食べ物系のツアーばかり組んでいましたので、酷暑の中ではありますが江東区の芭蕉記念館を訪問するツアーを組みました。ゲストは豆柴(薄茶)さんです。
 

 
芭蕉記念館は昭和56(1981)年7月に江東区が開設した、松尾芭蕉の業績を顕彰する記念館です。

松尾芭蕉は深川に住居を定め、庵には門人から送られた芭蕉が植えられていました。その芭蕉が生い茂っていたことから芭蕉庵と呼ばれていたといいます。芭蕉記念館の入り口にも芭蕉が植えられていて芭蕉庵のような風情を演出していました。 芭蕉はバナナに似ていますが、その実には種が多く苦みがあり、食用には向いていないとのことです。

なお、芭蕉記念館には分館があり、小名木川が隅田川に注ぐところに展望庭園もあります。実はアシモモ~が2年前の2020年に、そこまでジョギングついでに行ったことがありましたが、そのときはコロナ禍の最中で閉館していたので、芭蕉稲荷神社だけ参拝して帰ったようです。
 
ネコ科もいちおう入館料200円を払って入館しました。館内はクーラーが効いていて大変涼しく、酷暑の中の徒歩移動で消耗した身体を癒すことができました。
 
さて、3階には常設展示室があり、松尾芭蕉はどのような人物で、どのような時代に、どのような暮らしをしていたのかといった、松尾芭蕉についての基本的なことが分かります。3階から2階の展示室を見おろして展示室の全景を見ることがきます。
 
 
3階の常設展示室には、芭蕉記念館を過去に訪問した著名人の色紙が残されていました。筋肉体操で有名な村雨辰剛(むらさめたつまさ)氏の色紙を発見して豆柴(薄茶)が盛り上がっています。

 
 
こちらは俳句の厳しい指導でおなじみの夏井いつき先生の色紙。この他にも、台湾の李登輝総統の色紙もありました。

 
 
こちらは、『江戸名所図会』 (天保7年(1836年)刊 斎藤月岑(さいとうげっしん)編、長谷川雪旦(はせがわせったん)画)の芭蕉庵図です。「芭蕉庵の旧址」について「同じ橋(万年橋)の北詰、松平遠州侯の庭中にありて、古池の形いまなほ存せりといふ」と記されています。芭蕉が亡くなってから200年以上が経過した天保年間の書物の記述ですから、池が長く武家屋敷の中で保存されていたことが分かります。

 
 
さて、2階の展示室では、「神コレ!」と称して、「蒐集家(コレクター)・神谷瓦人(かみやがじん)と近代俳句」と題する企画展が実施されていました。俳句や和歌に関する書籍や短冊を長年にわたって集めた昭和期の俳人である神谷瓦人氏のコレクションから1000点を超す資料が平成4年に芭蕉記念館に寄贈されおり、その中から選りすぐりの品を展示するという企画だそうです。
本企画展について、印象深い言葉とともに趣旨が記載されていました。アタシなんかはネコ科でありますから、むしろ断捨離の精神を発揮したくなってしまって蒐集には向かないと思います。
蒐集の道には五つの能力がともが伴わなくてはと思う。
「足・時・眼・金・場」。探し求めてこつこつ歩き回るコマメの「足」。出物ありと聞いたり、呼ばれたりしたら、すぐ飛び出せる自由の「時」間。品物を見たら評価と是非を決める決断の「眼」。その場で入手できる「金」の用意。集めた物を整頓して置く「場」所。これだけ可能でないと、充分に集めることはできない。

 昭和期の俳人・神谷瓦人(1900~1989)は、蒐集の条件に上記の能力を挙げています。その言葉の通り、40年の月日を費やして蒐集した俳句・和歌にまつわる書籍や短冊は約数十万点あるといわれています。
 瓦人氏の死後、コレクションの品々は各地の文学館に収蔵され、当館も掛軸や短冊等の寄贈を受けました。本年度は初めて寄贈を受けた平成4年から30年経った節目の年です。それを記念して、本展は館蔵資料のコレクションから近代俳句の歴史と併せて、蒐集家・神山瓦人の選りすぐりの逸品たちを紹介いたします。
 
よろこびをわかちあひたく西瓜切る  宮沢賢治

 
 
藤の花軒端の苔の老いにけり   芥川龍之介
 
 
白菊と黄菊と咲いて日本哉   夏目漱石

 
 
硯筥ずり落ちん汝が火燵泣く    河東碧梧桐
(短冊の字が、それにしても酷い字です)
 

河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)は正岡子規に師事してホトトギスに参加しましたが、正岡子規が没した後は定型から新傾向、自由律へと俳風を変化させた人です。何と説明書きに誤りを発見しました!!「河東碧」さんと記載されています。「河東」さんであって、「河東碧」さんではありません。

 
 
はつ雪や今行く里の見へてふる   小林一茶

 
 
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   正岡子規

 
 
そして、今回のツアーの最大の見どころに差し掛かります。
こちらが、芭蕉記念館を訪問する最大の目的である「石の蛙」です。大正6年(1917年)9月の台風の後江東区常盤一丁目から芭蕉遺愛の石の蛙が出土し、大正10年に東京府がこの地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。

大正時代の台風被害の後に発掘されたというドラマ性や、芭蕉との関連性を思うとき、何としてもこの蛙を見てみたくて、これまでも芭蕉記念館を何度も訪問したいと思っていました。しかし、コロナ禍のためになかなかツアーを組めずにいました。やっと、大願を成就することができました。

芭蕉が愛でていたと伝えられています。このフォルム、この重厚感!

 上から見ても横から見ても可愛らしい顔のカエルです。

アタシらも入れてもらって記念撮影に臨みました。館内は明確に撮影禁止と言われている場所以外は撮影可能です。
 
 
芭蕉記念館の敷地には小さな庭園が設けられています。小さいながらも標高差があり、なかなか手入れの行き届いた庭園です。散策路まで設けられています。

 散策道を上っていくと小さな祠があって、松尾芭蕉と思しき人物が鎮座していましたのでここでも記念撮影をしました。

庭園の片隅からは隅田川を一望することができます。下流の方に目をやれば清洲橋。

上流の方に目をやれば新大橋が手に取るように見えました。

 
記念館の入口で顔はめパネルを用いて記念撮影に臨みました。豆柴(茶)は身体バランスが悪いのでアタシだけの撮影です。

 
小さな記念館でしたが、十分に松尾芭蕉について学習を深めることができ、また、念願の「石の蛙」にも会うことができました。大変有益で中身の濃いツアーが組めたのではないかと自負しております。
 
せっかく芭蕉庵に来たので、一句詠んでみました。
 
 ・石蛙酷暑忘るる姿かな   ポンド
 ・芭蕉の樹往時をしのび目は泪   豆柴(茶) 
 
蛇足ではありますが、アタシの句は、石の蛙に会えて、この酷暑のこともすっかり忘れて時が止まったかのように魅入ってしまった感動を詠んでいて、豆柴(茶)は、「行く春や鳥啼き魚の目は泪」に思いを馳せて詠んだ句であり、ともに駄作でありますww
 
 
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