「花の旅」 総合目次 

 

北海道 花と豪雨の旅

 

 プロローグ
  1.目的地は北海道の花の山  (年金生活者の旅の流儀)


  2.横手市 増田の町並み (旅の楽しみは、未知との遭遇)


  3.雫石の同窓生を訪ねる (50年以上の年月を経た友人との一時)


  4.その意識が私を旅立たせます (誰にでも来る、その時を恐れずに)

 

 函館山の花と木々


  5.立待岬から函館山の頂を目指す (周囲の花を楽しみながら歩を進めました


  6.草木の花と実を眺めながら (世間の雑事を忘れ、草木だけを眺め歩きました)


  7.函館山七曲コースの植物 (登山道脇に多彩な種類の植物が現れます)


  8.幸せな人生 (緑の中を無心で歩むことの幸せ)


  9.最近はAIも使います (この花はなに?の疑問にAIが答える時代です)


10.草原の花咲く千畳敷コース (草原を彩る多彩な草花)


11.彩り豊かな花と観音様 (野花の彩と人の関わり)


12.古希を過ぎても、試行錯誤を繰り返しながら・・ (年をとっても失敗を恐れず)


13.函館山の眺望は110万ドル (函館山の価値を見直しました)


14.函館山は自然の植物園 (函館山は植物の宝庫)

 

 アポイ岳は花の百名山


15.アポイ岳山麓へ (函館からアポイ岳を目指しました)


16.アポイ岳 針葉樹林の道 (この地でしか見れない草木を楽しむ)


17.アポイ岳 針広混交林の道 (周囲の木々の変化が楽しい)


18.100歳まで健康に歩み続ける戦略 (高齢者のつとめは)


19.アポイ岳 5~6合目の花と景色 (久しぶりの高山植物)


20.アポイ岳 馬の背お花畑 (ここにしかない花と景色)


21.アポイ岳 幌満お花畑を往復してピークへ (アポイ岳ピークの不思議)

 

 11年前の記憶


22.えりも町庶野の恩人を訪ねる (11年前の親切を忘れません)

 

 晴れのち豪雨


23.えりも町から上富良野町へ (北海道の景色を堪能)


24.予期せぬこと (後期高齢者であることを忘れていました)


25.車中泊の旅で雨に降られて (雨天時車中泊のスキル)


26.若かりし頃の沢登りを想い出しました (豪雨で思い出す若き日々)

 

 

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筆者のホームページ PAPYRUS

 12日の昼過ぎに旭川を出発しました。雨竜湿原も旅の候補の一つでしたが、大雨警報が出たので、安全帰宅が全てに優先します。


 そして案の定、車が岩見沢市街に入った辺りで、ワイパーが効かない程の豪雨に見舞われました。
 


 瞬く間に道路が冠水し、前を走る車が水しぶきを上げ始めました。
 


 国道は水で溢れ、急流が流れ下る沢中を歩く気分です。
 


 そしてこの流れが、大雪山クワウンナイ川の沢登りを思い出させました。


 クワウンナイ川は、日本百名山のトムラウシ山頂付近を源流とし、天人峡温泉付近で石狩川支流の忠別川に合流します。

 

 このクワウンナイ川は長い滑床が約1.5㎞も続き、足首程の清流が流れる沢をヒタヒタと登り続けると、高山植物が咲き乱れる稜線に出ます。


 あの時ご一緒させて頂いた鹿追町立病院の前田先生、今もお元気にお過ごしでしょうか?
 


 更に、このクワウンナイ川へ流れ込むポンクワウンナイ川は、沢登りの愛好家に「次々と滝が現れる歯ごたえのある好ルート」として知られます。


 私は1975年からの6年間を旭川で過ごしましたが、クワウンナイ川は2回、ポンクワウンナイ川は1回、この両沢で沢登りを楽しませてもらいました。


 以下の写真でポンクワウンナイ川のゴルジュの滝を登っているのは、大学の1年後輩の田口君です。

 

 この時彼はズボンの糸が切れてお股が破けていましたが、写真では分かりません。


 それにつけても、旭川では本当に楽しい独身生活を過ごすことができました。
 


 話はかなり横道に逸れましたが、岩見沢で豪雨の中を数㎞走ると嘘のように雨は止んで、車は順調に距離を伸ばし、夕刻までに苫小牧市に到着しました。


 市街に入ると、国道脇のスーパーに入り、夕食用に巻き寿司とアメマスの刺身を買い求めました。

 

 市内の公園の駐車場に車を停めて、車内で日本酒をちびりちびりと聞し召しながら21時頃に就寝しました。
 


 翌朝、車中で目を覚ますと、すぐに北海道大學苫小牧研究へ車を走らせました。


 林内で6時間程、多くの樹種を観察しましたが、その最中エゾシカシカの親子に至近距離で出会い、
 


 アオバズクを始めて観察撮影し、北海道ならではの貴重な体験を重ねました。
 


 北大苫小牧研究林を満喫した後、青森行きフェリーが出航する、函館埠頭を目指して国道36号線を走り始めました。


 帰路の全ても無料道路を使い、14日の夕方に無事帰京しました。

 

 翌15日に病院の定期診察を受けましたが、その検査で、今度は肝臓に新たな影が見つかり、今は9月上旬の精密検査を待ちます。


 しかし、その結果がどうであろうとも、私はまだまだ「花の旅」を続けるつもりです。 

 

 (9月8日 追伸 精密検査の結果は「問題なし」でした。)


 と云うことで皆様、次回もまたお目にかかれることを願いながら、楽しかった旅の筆を下すことに致します。
 

 

 

 旭川から士別、名寄、天塩岳登山口などを巡り、再び旭川に戻る途中で雨が降り出しました。


 車内ラジオの天気予報が、


「北海道の旭川を含む上川地方で、10日から12日にかけて、記録的な大雨、警報級の雨が長引く恐れがある」と報じていました。


 えぇ! これはまずいな・・・ 


 明日富良野岳に登るのは無理かもしれません、それ以前に考慮すべきは今夜の宿泊場所です。


 雨天時に車中泊をする場合、車に雨が当たらない場所を選ばないと、車の屋根を雨が叩く音で熟睡できません。


 小雨程度であれば、大きな川を跨ぐ橋の下が第一選択ですが、大雨警報が出そうな場合に、河川敷に車を停めるのは自殺行為です。


 次の選択肢は、二階建て以上の自走式コインパーキングですが、そのような施設は鉄道駅周辺に設けられていることが多く、旭川駅の周辺を走り探すと、想定通りのパーキングを見つけることができました。

 

 料金は24時間で最大1000円です。

 

 近くに居酒屋などもあるので、今夜は、刺身を肴に地酒を楽しむことにしました。


 翌10日はネットカフェや図書館などを巡って時間を潰しました。


 11日の朝8時頃に車中で目を覚ますと、黒い雲が空を覆いますが、雨は降っていません。

 

 取り敢えず富良野岳の麓まで行き、山の様子を見てこようと思い、上富良野方面へ走り出しましたが、20分も走らない内に雨が降り出し、雨脚は強くなる一方です。
 


 この時点で山を諦めました。


 昼近くに旭川市内の図書館の窓から空を見上げると、雨が止んでいたので、旭川外国樹種見本林、通称見本林を訪ねることにしました。


 見本林は、海外の樹種が北海道で育つかを観察する為に1898(明治31)年に、約30種が植栽された、北海道で最も古い外国樹種栽培地です。

 

 また、この見本林は三浦綾子の「氷点」の舞台としても知られ、見本林の入口に「三浦綾子記念文学館」が建てられています。 
 


 散策路の傍らに、小説「氷点」の一節が、「ストローブ松の林」や「ドイツトーヒの林」などの表題を付けて掲げられていました。


 今から62年前の1964年に、新聞小説「氷点」が掲載されましたが、その頃中学生だった私は、学校から帰ると真っ先に新聞の「氷点」を読んだ記憶があります。
   

     

                


 1時間ほど、見本林でストローブマツや
   

 


 ドイツトーヒなどを観察していると
   

 


 空からぽつりぽつりと雨が降り始めたので、「旭川であれば、また来れるはず」と自分で自分を説得しながら、異本林を後にしました。
 

 

 

 17時頃、上富良野町に到着しましたが、この時予期せぬことが起きていました。


 太ももの筋肉に張りを感じたのです。


 まさか、標高800m程のアポイ岳登山で足に筋肉疲労を生じるとは思いませんでした。


 予定では、明日は富良野岳に登る積もりでした。


 富良野岳は花の百名山に名を連ねる花の宝庫です。富良野岳山頂の標高は1912mで、登山口となる十勝岳温泉の標高は1280mですから、標高差は632mしかありません。

 

 50年程前に旭川の社会人山岳会に所属していた頃は、当時の北海道の山岳季刊誌「北の山脈」に登山ガイドを書いたこともある程に精通する山です。 
 


 とは言っても、今から50年程前のことですから油断は禁物です。

 

 例えば、山は1000m上る毎に気温が6度低下します。標高1920mの山頂は、平地よりも11℃以上気温が低く、雨が降って風が吹けば、体感温度は更に下がります。そんな状況下で足を痛めて動けなくなれば、遭難騒ぎを起こしかねません。


 明日は一日休んで疲れをとり、富良野岳登山は明後日に延期することにしました。

 そうと決めれば、上富良野よりも、旭川の方が何かと便利です。


 明日どう過ごすかを考えながら、車を旭川へと走らせ、スーパーで夕食用の弁当を買ってネットカフェに入りました。


 ネットカフェで「美味しいソバ屋」を検索すると、旭川の北60㎞程の多寄という町に、手打ちそばの店を見つけました。

 

 多寄市手前の士別の街に、昔大変お世話になった、医院の様子も気に掛かります。明日は士別方面をドライブして過ごすことにしました。


 翌朝旭川の公園の駐車場で目を覚ますと、朝食後にもう一度毛布を被って二度寝を楽しみました。小さく開けた窓から心地よい風が吹き込み、小鳥たちの囀りが聞こえました。


 11時頃に目を覚まして、ミルクティで喉を潤し、郊外の森を抜ける道を走り、士別市の医院を訪ねましたが、記憶する場所に見知らぬ建物が建ち、当時の面影を残すものは一つもありませんでした。


 その足で、多寄の蕎麦屋を訪ねましたが、店のドアは閉じられていました。


 今日の仕込み分は完売したようです。
 


 多寄町から、いつかは登りたいと思う、天塩岳の登山口を目指しました。


 ナビを頼りに車を走らせると、天塩岳ヒュッテの案内標識が現れました。
 


 そこから数分も走ると、趣ある外観のヒュッテの前に出ました
 


 ヒュッテは二階建てで、広い畳敷きの部屋に懐かしい薪ストーブが据えられていました。
 


 50年程の昔、こんなストーブの上でコマイ(氷下魚)の干物をあぶり、マヨネーズと七味唐辛子を付けて、山仲間と酒を飲んだ記憶が蘇りました。
 

 

 

 庶野を出発して富良野岳山麓の上富良野町を目指しました。


 ナビは広尾、帯広、狩勝峠を経るルートを選択しました。


 総距離約240㎞、所要時間6時間が示されましたが、北海道の道路状況を考えると、所要時間は1時間以上短縮する筈です。


 庶野の街から国道336号を走り始めると、道路の右手に、「これより黄金道路」と示されていました。
 


その先のカーブを曲がると日高山脈の南端部が海に迫り、その尾根の下に長いトンネルが続きます。
 


 30分程で広尾町に着くと、記憶と勘を頼りに交差点を左折しました。
 


 交差点を曲がった50m程先で、あの日、軽トラックで送って頂いたホテルが見えてきました。


 汚れないホテルの白壁を見ると、あの旅の日から、10年以上の歳月が流れたことが嘘の様に思えました。
 


 夢と現実が交錯するような、不思議な気分に浸りながら、国道336号から国道236号へ車を進めました。


 あの日雨の中で自転車をこぎ進めた道が、あの日と変わらぬシンプルな直線を描き、空と大地の接点に向かって伸びて行きます。
 


 大樹町を過ぎると、ナビに導かれ自動車専用道の帯広広尾道に入りました。


 周囲に、十勝地方を象徴する限りない広さの畑や牧草地が広がります。
 


 帯広広尾道を帯広市内で降りて、国道38号線に入りました。


 この道を使って営業の仕事をしていたこともあり、国道38線の帯広-富良野間は、何処に何があるかを熟知していた時もあったのです。


 北海道の緑の道を、軽快に走り続けていると、西達布市街地の手前でナビが突然「次の信号を右折します」と告げました。


 おや?と思いましたが、富良野市の山部辺りで交通事故渋滞が発生していたのかもしれませ。


 ナビの指示に従い、あの有名な「北の国から」の舞台となった麓郷方面へ車を走らせました。


 車は、長閑で美しい景色の中を走り抜けます。


 右手の畑は馬鈴薯で、左手は麦畑かもしれません
 


 馴染みのない場所で景色を撮影する時は、ナビの画面も同時に撮影するように心がけます。


 上記写真の現在地は富良野市老節布(おいせっぷ)であることが分かります。
 


 しかし馴染みのない場所では、運転操作に意識が集中するので、ナビ画面を撮影し損なうことも稀ではありません。


 それでも、今走る場所は、前方のピークが前富良野岳の筈なので、道道253号線の富良野市南布礼別(みなみふれべつ)辺りの景色に違いありません。


 数時間前に十勝平野を走っていた時は青空が広がっていましたが、日高山脈や大雪山系などの北海道中央山稜を越えて西側に来ると、雲が空を覆い、富良野岳は雲の中に隠れていました。