昨日はラジオで落語会の生放送がありました。
それも13時から21時までですから、なかなかの規模です。
昨日からタイムフリーでそれを聞いています。
会場は国立文楽劇場で、昼席、夜席とも超満員だったようです。
私も行きたかったのですが、既にチケットは売り切れでした。
その中で昼席のトリを務められたのが桂米團治さんです。
桂米朝さんの息子さんで、今や上方落語の重鎮と言っても良い存在になっておられます。
ネタは「猫の忠信」、これは「義経千本桜」の四段目のパロディです。
おそらく4月に国立文楽劇場で「義経千本桜」を通しで上演するので、それに絡めてこのネタを選ばれたのだと思います。
さすがに文楽に造詣の深い米團治さんです。
このお話、最初主人公がよい段の語りを当てられないところから物語が始まります。
そのくだりがあるのですが、そこの部分がお客さんにうまく伝わっていないのです。
「そうか、『義経千本桜』を通しで語るとなると、やっぱりわしはすしやの段か」
「いいや、すしやは##さんや」
このすしやの段とは「義経千本桜」の中でも聞かせどころで、4月の公演でも前を今中堅どころで一番脂がのっている呂勢太夫さんが、そして切を昨年大名跡の継いだばかりの若太夫さんが務めます。
それだけ重要な段を自分じゃない人が語ることに主人公がつむじを曲げるのですが、このすしやの段の重要性がわかっていないと、「猫の忠信」の話が始まりません。
だいたいこの「猫の忠信」との題目が「狐忠信」のパロディですし、その後も「義経千本桜」の登場人物と似た名前の人がどんどん出てきます。
そして「義経千本桜」だと狐なのが、落語では猫になっていたりして、とにかく元の話を知らないと「猫の忠信」の面白さが半減してしまいます。
昔は「義経千本桜」がどんなお話か、落語を聞きに来る人全員がわかっていたはずです。
ある意味日本人の常識だったのかもしれません。
だから「猫の忠信」という落語が生まれたのだと思います。
しかし今はそうではありません。
どちらかと言うと「義経千本桜」を知っている人はごく少数派でしょう。
それがために、昨日の会場のような反応になってしまったのではないでしょうか。
これは演じる米團治さんの技量の問題ではなく、今の日本人の古典に対する関心のなさに起因したものです。
文楽だけでなく古典落語にとっても厳しい世の中になっています。