2017.12.25~14日間:慶応義塾大学病院

CK 2775・CRP 0.67・ 心筋壊死あり

最初の病院へ息子に来てもらい、タクシーで帰宅。

ストーブの暖かさに、激しい痛みの疲れからウトウトしたのか意識を失っていたのか?

運良く目覚めてから、やはり夜を過ごす自信が無く息子に付き添って貰ってタクシーで慶応義塾大学病院へ。

苦しさは強かったが「心臓では無い!」と言う言葉と呼吸困難が有る訳でも無かったので、強い胸痛だけで救急車は呼べなかった。

本来、全身に震えがあり・手足が氷のように冷たく・顔面蒼白の状態であったのだから救急車を呼んでも良かった。

運んでくれた運転手さんも、藻掻き苦しむ姿に気が気では無かったであろう。

 

「心臓では無い!」と言われた一言で最初は呼吸器の先生を受診。

廊下で待つ間も胸が痛くて長椅子に横になる事も出来ず、もだえ苦しみ床にへたり込んだり息子に縋りついたり、苦しすぎて身の置き所がなかった。

問診・血液検査後に更に動脈血を採取してくれた後から・・・室内の雰囲気がバタバタと慌ただしく変わった。

循環器チームに一斉に交代。

緊張感がピリピリと伝わってきた。

CK2775の検査値が上昇していて心筋梗塞が決定付けられたからだ。

点滴・モニター・Spo2・血圧計も取り付けられた。

心筋梗塞と聞いて???だった。

あんなに苦しかったのだから、前の病院から救急車で来ればよかったのだ。

でも、心臓の専門医の主治医が「心臓では無い」の一言がそれを阻んだ。

一言を付け加えて帰す医師も多くいらっしゃる。

其れは急変の時の患者の遠慮や戸惑いを払ってくれ、手遅れになる事を避け一命を取り留める事にもなる。

 

既にステントを挿入していたので、その部位の閉塞がまず考えられた。

手術着に着替えさせられ、夜中になるにも関わらず(本当にいつも有り難い)カテーテル術を為すべく手術室へ。

あぁこれで楽になれる!以前ステントを入れてもらい楽になった事を思い浮かべていた・・・違った!

造影をしている途中の先生たちの様子がおかしい???

60%あるよね?・・・色々意見が交錯している感じ。

発症からずっと胸部痛で苦しんでいたので、その時間が長く感じるばかりで一刻も早く処置をして欲しかった。

其のうちカテーテル終了???そのままGCU集中治療室へ。

 

訴えは苦しいと言うより胸が痛い!とばかり伝えていた気がする。

勿論、鎮静剤は使われていたのであろうが「時薬」

心筋壊死の痛みを抑え込むまでには時間が必要だった。

 

結果や方針が出る迄の長時間を独りで薄暗く寒い廊下で、ただただ待機してくれていただろう息子には頭が下がるだけだ。

突然バタバタと出入りしていた時は急変か?あのまま苦しんで駄目だったか?と生死の心配もしたであろうし、カテーテル手術とはいえ同意書も求められたであろうし、気が気では無かった事だと思うと胸がいっぱいです。

説明を受け帰宅したのは夜が明けてからだった筈です。

 

GCU治療室は24時間体制で煌々と明るく、看護婦さんの動きがどこにもまして激しい。

禁食・飲料測定・もちろん導尿。

酸素も付け、点滴をして心電図・酸素量モニターも付けられました。

胸が痛くて、ずっと唸っていた気がする。

痛みが治まらず、楽になれず時間の感覚が全く無かった。

何が起こったのだろう?

以前の心筋梗塞とは違う事だけは確かだった。

少しだけ眠れる時間が取れるようになった頃、担当医師が最初の説明に来てくれた。

 

来院時間が心筋梗塞発作から10時間ほど経過していた為に3分の1ほどの心筋壊死が起こっている状態のいたみであり、そのコントロールと心臓機能の改善治療を進めますとの事。

病名は「急性前壁中隔心筋梗塞」

ただこの痛みは循環器一般病棟に移っても中なか治まらなかった。

加えて、前回心筋梗塞で挿入しているステント部位の血管壁が薄いようなので、次にまた大きな発作を起こしたら心破裂を起こす可能性もある事を伝えられた。

突然「心筋壊死」「心破裂」怖い怖い!もう怖さしか無かった。

 

此れから如何に生活すれば? ゆっくりした日常生活? ストレスを持たない、走ってはいけない、寒い思いも駄目、息んでも駄目?喘息発作がでたら・・・???不安ばかりだった。

でもマダマダ胸部苦痛が強く痛くて苦しくて、そんな事さえ考えられずに動けなかった。

簡単に治まるはずが無い・・・心筋壊死を起こしたのだから!

普通病棟に移ってからの歩行訓練本当に少しづつ、ゆっくりとした速度で病棟内の廊下を1・2周するだけのリハビリ?

昔と違い今は、壊死後の数ケ月のリハビリで回復傾向も示されているとの事。

慣れていない身体の異常に、今迄のペースで動いてしまうと貧血を起こしてしまい・・・立ち眩みをしばしば経験し、此れからの生活への不安ばかりだった。