【京都】平安神宮から南禅寺へ【岡崎】 | Sepia Wind deux

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前回、『平安神宮』の大鳥居に到着したところからのつづきです。

というか『平安神宮』は修学旅行も含めるとこれで3回目ぐらい?

 

『平安神宮』の『応天門』

Nikon Zf NIKKOR Z 14-30mm f/4 S(今回の写真はほぼすべてZfです。例外のみ機材表記してあります)

 

『平安神宮』は明治28年に完成した、けっこう新しい施設なんですよね・・・。

 

平安遷都1100年を記念して開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画され。

平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されて明治28年に完成。

 

『大鳥居』

 

岡崎疏水 東を向いて

 

京セラ美術館

 

で、この『平安神宮』がある一帯。

国立近代美術館、京セラ美術館、動物園の付近から東山の麓の南禅寺や永観堂、哲学の道あたりまでを総称して『岡崎』って呼ぶんですけど。

 

『応天門』

 

『石碑』

 

けっこう離れた位置から見た『応天門』

 

この『岡崎』って何と言いますか、ちょっと京都の他の地域と微妙に雰囲気が違うと言うか・・・。

品があるって言い方もおかしいんですが、学生時代も白川通から南下して丸太町通へと右折するたびに何となく違う空気を感じていたものです。

 

『応天門』の説明が書いてある立札とともに

 

『応天門』の前から南を向いて

 

『応天門』越しに見る『大極殿』

 

で、平安時代に政務が行われていた『朝堂院』の入口にあったのが『応天門』。

 

866年にこの『応天門』が放火されたんですが、犯人探しの結果、古代からの名族伴氏(大伴氏)が没落し、藤原氏(当時太政大臣が良房)が権力基盤をさらに固めることになったと。これが有名な『応天門の変』。

藤原氏による他氏排斥事件のひとつという話。

 

東(右側)に『蒼龍』  青龍に同じですね

 

『応天門』をくくぐって正面に見えるのが『大極殿』

 

西(左側)に『白虎』

 

そうそう、ここにも以前言及した『四神相応』のうち、東を守る『青龍(蒼龍)』と、西を守る『白虎』の像がありました。

南の『朱雀』と北の『玄武』もあるのかな?と思い、神苑の受付で訊ねたんですが、たぶんない、とのこと(笑)

 

『蒼龍楼』

 

真ん中の大きい建物が『大極殿』 左が『白虎楼』

 

『大極殿』前にはおみくじを結び付けた枝が

 

で、この『朝堂院』を囲むように、『神苑』というすごく広い庭園があるんですが。

これも交流のある複数のブロガーさんの記事で見たことあるんですが、桜がめっちゃきれいなんですよね・・・。でもこの時は桜はまだまだ先で・・・。

 

『応天門』内側から『大鳥居』を

 

『岡崎公園』野球場

 

帰り道の『大鳥居』

 

で、その『神苑』は有料なんですが、前回の終わりにも書きましたがこの時すでに私、ヘトヘトで・・・。

桜もまだですし、事前情報でその広さも念頭にありましたから、この後のことを考えてもここであの広い『神苑』を歩き回るのは正直無理だな・・・、と思った💦

 

岡崎疏水沿いに南禅寺方面へ

 

疏水の向こうに見えるのが『京都市動物園』

 

望遠で ミニ観覧車が見えますね (Nikon Zfc NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR)

 

というわけで、『神苑』には入らず次の目的地である『南禅寺』に向かいます。

 

途中、疏水越しに『京都市動物園』が見えましたが、ここはたぶん学生時代にサークルの連中と来たことありますね。しかも男ばかりで(笑)

記憶は全然残っておりません😓

 

仁王門通りから南禅寺前へ

 

『南禅寺 中門』

 

有名な『南禅寺 三門』

 

ただ、二十年ぐらい前に『岡崎』付近を訪れている夢を見たことがあって。

その断片は今でも覚えてるんですよね、不思議なことに。

よくわからないんですが、たぶん自分の中ではある種特別な場所みたいなイメージが残っていたのかも・・・。

 

三門はさすがに大きかったんですが・・・

 

もろ逆光なのが・・・

 

三門から法堂の方を見やって(Nikon Zfc NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR)

 

さて、ようやくやってきました、人生初の『南禅寺』。

『南禅寺』は紅葉の季節に横を通っただけなんですが、その紅葉がめっちゃきれいな印象。

でも、この日は枯れた枝だけ・・・。

 

それにしても無用の長物となった、NewF-1とZfcが重い・・・。

このあと『蹴上インクライン』に立ち寄って、その後二条城の近くで昼食の予定だったんですが、もうヘロヘロ状態で・・・。

 

結局、『蹴上インクライン』はキャンセル。

 

次回は南禅寺のつづきと二条城、そして学生時代によくうろついていた千本通付近の写真を予定していますが、大した話はないので『一条天皇』の辞世の歌について少しだけ触れようとも思っています。

 

最近の『光る君へ』ですが、どうも流れ的に行成が一条帝と近しい立場になりそうで。

それがちょっと伏線ぽく感じるので。