京都 『祇園祭』と『神泉苑』、そして『御霊会(ごりょうえ)』 | Sepia Wind deux

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七月になり、京都は1か月に及ぶ『祇園祭』がはじまりましたね。

 

ここ何年かは、この時期に京都を訪れて宵山を中心に何度か楽しませていただいていた『祇園祭』ですが。

今年の日程も、去年に劣らず・・・、というか今年の方が厳しい?

だって15、16、17日が土日祝日という・・・、鬼みたいな日程で💦

 

現在の私、仕事面では日程に関してけっこう自由が利くので平日の方が助かるのよね・・・。

というわけで今年も、私の大好きな宵山を見ることはできません。

お出かけできる幸運な方は、ぜひ心ゆくまであの大混雑をお楽しみくださいね。

 

で、今日の記事はその『祇園祭』について。

 

以前、『祇園祭』の起源について、

 

 
という記事を書いたんですけど、今回はその『祇園祭』の起源となった『御霊会(ごりょうえ)』についてもう少し掘り下げてみようかと。

 

 

 

Nikon D700  AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G 

 

 

今日の一枚目は、その『祇園祭』のクライマックス『宵山(7/16)』の、八坂神社西楼門から見下ろす四条通の様子。

アーカイブ用に昔の写真データを探していた時に見つけたもので、2012年のものですね。

 

子供の中学受験が2011年2月でしたから、その翌年?

まあ子供も無事、裏に根岸森林公園を控えた横浜市山手の某中学から合格いただきましてその翌年ですから、すっきりした気持ちで出かけられた記憶があります(笑)。ただ、これも今となっては大昔の話ですね・・・。

というか一連の宵山の写真ですが、当時やっていた写真ブログで交流のあった、神戸在住のブロガーさんと御一緒した翌日に撮ったものですね。

 

日程的には、

7/15 阪急夙川駅で待ち合わせ→西宮北高校付近→夙川公園に戻って北上→阪急苦楽園口駅→タクシー→関西学院大学上ヶ原キャンパス→阪急甲東園駅→梅田

って感じだったかと。で、梅田で夕食を取ったあと解散。神戸三宮のホテルで一泊して、翌日は単独行動に

 

朝から阪急曽根駅→レンタサイクルで千里川土手へ。飛行機を撮影したのちこれまた阪急で京都烏丸駅へ移動。

四条烏丸付近でお昼ご飯を食べたのち、御池付近のホテルにチェックイン。

 

しばらく休憩したのち、頃合いを見計らって八坂神社へ。

 

 

これ、泊まったホテルの近くですね。ここだけレンズが違います。

Nikon D700 Ai AF Zoom-Nikkor 18-35mm f/3.5-4.5D IF-E

 

 

八坂神社西楼門から見下ろす四条通。まだ18時前なので、歩行者天国にはなってないですね。

 

はい、18時になるとこんな感じで人人人の海・・・。

Nikon D700  AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G 

 

 

今回は、2012年の『祇園祭』の写真と併せて、先日、3月に夜桜ライトアップ撮影の際、昼間に訪れた『神泉苑』の写真も紹介しようかと思います。

でも、今年3月の関西遠征は滞在した5日間のうち、晴れたのは猪名川土手から伊丹空港を撮影した一日のみで・・・。

あとは、雨と曇りで、写真的には全くさえない天気になってしまいました💦

 

で、この日は朝は、少し雨も残っていたので防塵防滴のオリンパスE-M1Mk2で桜の『清水寺』(←またかよ・・・)を撮っており・・・。

そのあと、南座前から適当な市バスに乗って『二条城』へ。

あとから考えると、『二条城』で撮ってもよかったんですけどね・・・。

 

以前から一度、『神泉苑』は訪れたいと思っていましたし、この付近って私が学生時代に住んでいたところでもあり、四条大宮にも近いから、帰りがてら『三条会商店街』も覗いていこうかな、とか考えていたんですね。

でも、コタツはんとか、まーこさんのYouTubeさんざん見ていて気楽に考えていた『三条会商店街』ですけど、やっぱり一般人じゃ写真撮れんわ・・・。

 

 

 

 

『神泉苑』。思ってた以上に狭い場所でしたが、天気や桜の咲き具合がよければ、相当美しい写真が撮れそうな場所でもありますね。

Nikon Zfc NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR

 

 

さて、その『神泉苑』。

平安遷都以来、大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)なわけですが。

 

貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑で『御霊会』が行われたという話で。

『御霊会(ごりょうえ)』とは、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼。

 

そもそも『祇園祭』は、疫病退散を願う祭りですが、当時は疫病や大雨、地震等の天災は、死者の怨霊によるものと考えられており。

この『御霊会(ごりょうえ)』では、平安京遷都前後からその後、桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇の時代に、権力闘争に敗れ、あるいは濡れ衣を着せられ非業の死に追い込まれた六人の鎮魂を目的に行われていたもの。

 

この六人の霊を六所御霊と言うのですが、次のとおり。

 

崇道天皇(早良親王)
伊予親王
藤原夫人(藤原吉子)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
観察使(藤原仲成もしくは藤原広嗣)

 

 

 

 

 

 

Nikon Zfc NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR

 

 

早良親王と伊予親王は桓武天皇の弟、藤原吉子は伊予親王の母親で。

 

早良親王は、桓武天皇が当初平城京からの遷都先として検討していた長岡京工事中に起こった時の権力者で造長岡宮使、藤原種継の暗殺事件に連座して、皇太子を廃され・・・。

 

親王は身の潔白を訴え絶食、淡路島に流される途中で憤死したとのこと。

この早良親王は、奈良の仏教勢力とも近しい人だったことで、桓武天皇が嫌がったのでは?という説もあるらしいのですが、種継の死で捕縛され死罪になったのは大伴一族が多く、桓武天皇の思惑の裏で、藤原氏の他氏排斥的な面も強かったんじゃないのかなあ・・・。

 

どちらにせよ、早良親王の死後、桓武天皇の周辺では病死した者が急増して、疫病、洪水等も相次ぎ、それらすべてが早良親王の祟りであると。

まあ、当時の事情をよく知る貴族や僧侶たちは、早良親王に同情していた人も多かったんでしょうね。だからその無念の思いが怨念として強く残っていると考えた・・・。

 

 

一方、伊予親王は父桓武天皇に可愛がられていたらしいのですが、その桓武天皇が亡くなり、兄の平城天皇とも当初は良好な関係だったのに・・・。

どうも藤原氏の当時の権力者、藤原内麻呂(藤原北家)と藤原雄友(藤原南家)の権力争いに巻き込まれたフシがあり、親王が謀反を企てているという密告(←藤原氏の常套手段ですね)を兄の平城天皇が信じて、母親の藤原吉子とともに逮捕、幽閉され、まもなく親子そろって服毒自殺するという、ホントやりきれない最期・・・。

 

もう平安時代ってこんなのばっかなのよね・・・。

 

 

 

 

 

Nikon D700  AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G 

 

 

さて、写真は2012年に戻って、徐々に日が暮れていく四条通。

 

7/15の宵々山と7/16の宵山は、18:00になるとこの四条通が歩行者天国になります。

私が初めて『祇園祭』を体験したときが宵山で、歩行者天国となった四条通りは、あたかも満員電車に乗っているかのような混雑ぶりでもあり・・・。

 

個人的には7/17の山鉾巡行よりも『宵山』の方が、全然『祇園祭』感が強いですね。

というか私の中で、『祇園祭』と言ったらイコール『宵山』という感じの、印象的なイベントでもありますね。

 

 

 

 

 

Nikon D700  AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G 

 

 

この日は、ずっと撮りたいと考えていた『祇園祭』宵山の光景でしたから、何枚も何十枚も撮っていたわけで。

加えて、50mmF1.4という明るいレンズでもあったので、背景の光源を丸ボケにして何枚か撮ってみました。

 

このあと、20時ぐらいに私、撮影を終えて、東大路でタクシーをつかまえます。

で、行先は「烏丸今出川」。

 

タクシーの運転手さんは怪訝な面持ちでしたので、「学生時代によく食べた天下一品に寄りたいんですよ」

と言ったら、ようやく笑ってくれて。

 

そりゃ『祇園祭』の宵山なのに烏丸今出川?何しにそんなとこ行くの?てな感じにはなりますよね・・・💦

 

で、天一でこってりラーメンを食べた私は、「やっぱそこまで美味くないよな・・・」と、思いつつ地下鉄烏丸線で御池まで戻ります。

 

 

これは押小路通(二条城の面している通り)に面した入口。私、『神泉苑』て通りの南側に接していたような記憶があったんですが・・・。

 

 

実はこの狭い御池通の、まさにこのバス停が私の記憶そのものの『神泉苑』でした(笑)。通りの南側にあったのは学校とバス停で、肝心の『神泉苑』は通りの北側だったという・・・💦

Nikon Zfc NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR


 

六所御霊の残りの三人、橘逸勢、文室宮田麻呂、藤原仲成もしくは藤原広嗣も、藤原氏の権力闘争の中で葬られた人ばかりで・・・。

 

時代的には相当あとになっての名誉回復ですから、関係者が完全にいなくなって不遇の死を心から祈れる人々の時代になったからこそ、彼らの魂を鎮める祭りの開催に至ったのだと思います。

まあ当然、皇室、宮中関係者の不慮の死や疫病や天災も多かったから、それを鎮める目的が第一ではあったと思いますが。

 

で、この『御霊会』が受け継がれて、現在の『祇園祭』に至っていると。かなり途中端折っていますが💦

そう考えると、華やかな『祇園祭』も、心のどこかで厳かな気持ちで向き合わねば、という感じにもなりますね。

 

 

というわけで学生時代、このすぐそばに住んでいたにも関わらず、一度も訪れたことのなかった『神泉苑』をこの日訪れることができました。

 

というか、境内にはいくつものお堂や社があって、私、仕方ないのでそのすべての賽銭箱にお金を入れて鎮魂のお祈りをしました。

おかげで小銭が全部消えてしまった・・・。

 

ちなみにこのあと、歩いて『三条会商店街』に立ち寄りますが、地元民さんの目が多くて、カメラを構える勇気もなく・・・。

すごすごとさらに南下して四条大宮でご飯を食べ、ホテルに戻ります。

 

で、しばらく待機して日が暮れる頃、再度バスで『知恩院』へ向かい、あの美しい夜桜ライトアップに酔いしれることになるというわけ。

 

 

 

Nikon D700  AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G 

 

 

こちら、2012年の私も、撮影を終えて烏丸御池のホテルに戻ってきました。

21時を過ぎていたと思うんですが、まだまだ宵山の夜は終わりそうもありません・・・。

 

また、いつかこんな場面をこの目で見たいものです。