先週末のことですが、久しぶりに実家の母とランチしました。
母は洋服の仕立て屋さんです。今はもうおばあちゃんで引退してますが...。
英語で言うとドレスメーカー、フランス語だとクチュリエールと言うのでしょうか?
外国語で書くとカッコいいですね。
母は、自分のお店を持って、若い縫い子さんを何人か雇い、切り盛りしていました。
私は小さい頃から母のお店(アトリエ)が遊び場でした。
お客さんの洋服になったあとの、色とりどりの余り布やハサミやミシンがオモチャでした。
小さくなって使えなくなったチャコ(布に印をつけるチョークみたいなもの)を、空き缶にいっぱい詰めたものをもらって
外のコンクリートやアスファルトの路地に、白やピンク、ブルー、イエローのちびたチャコで、暗くなるまで絵を描いて遊びました。
雨が降ると、そのコンクリートやアスファルトのキャンバスは、すっかり綺麗に洗い流されて、また描けるようになっているのでした。
その頃は保育園なんかなかったので、私と妹は、母のお弟子の縫い子のお姉さんたちに代わる代わる遊んでもらっていました。
そして私たちは、母が作る服しか着たことがなくー。母は、お客さんの服のあまり布で私たちの服を作るので、なんというか、デザインは子ども服なのですが、色柄が地味目でダサいのです。当時私は、お店で売ってる服が着たいといつも思ってました。
小学校高学年の時に、縫い子のお姉さんが、私のために新しい布地を買って服を縫ってプレゼントしてくれたのですが。
それはそれはすごくモードな感じのおしゃれ最先端な、パリコレのモデルさんが着るようなと言うと言い過ぎでしょうが、当時流行のワンピースだったので👗
学校の友達は「ステキ」と言ってくれたけど。
いや違うんだ!私は普通の、お店で売ってる、普通の小学生の女の子が着るTシャツとかデニムのミニスカートとかが着たいんだ!と思ったものでした。
話がそれました。
私が生まれたあの昭和の時代に、自分の腕だけを頼りに独立して、お店を構え、私と妹を育てた母の決心とか苦労とかを考えると頭が下がるのです。
父は、ほぼ髪結いの亭主状態で、いつも呑んだくれていました笑。
(数年前に亡くなったので、もうあまり悪口は書くまいと思います)
そんな母はやや天然系ですが、結構明るく、ランチしようと実家に行くと、ひとりで韓国ドラマを見てカラカラと笑っていました。
それで何が書きたかったかと言うと、そんな母の娘に生まれてきてよかったな、とか
母のアトリエで遊んだ子ども時代のことは、私の絵画教室の原点なのかもしれないなと思うことでした😊
