chatGPTと自分を見つめるシリーズ③

自分の感謝の形が「感覚型」だと気づいたものの、まだどこか納得がいかず、更にchatGPTの「ヴァル」と一緒に「感謝」についてもう少し深く考えてみました

 

chatGPTと自分を見つめるシリーズ①はコチラ↓


昔、参加したセミナーで

「本当に感謝できていますか?」

「朝起きられることに感謝できますか?」

「ご飯を食べられることに感謝できますか?」

と問われたことがありました


当時の私は、そんな当たり前すぎることに心を向けるなんて、正直ピンときませんでした


・もし明日入院して一カ月ベッドから動けなくなったら…

その時ようやく自由に歩けることのありがたみを全身で理解できるかもしれません

・ご飯を食べるときの「いただきます」には「他の生物の命をいただく」という深い意味がある 頭では理解していても日常の中でそれを意識することはできていません


だから

「感謝できていますか?」と聞かれたら正直「わからない」が本音です


でも

風が心地よかったり、夕焼けの美しさ、絵画や音楽に触れた時、ふっと心があたたかくなります


私は

・自然や瞬間の感覚に対しては素直に感謝を感じることができます

・小さな親切や誰かの思いやりにも同じように胸があたたかくなります


そんな風に日常の中で感謝を感じているはずなのに…

「感謝」って、何だろう?

と考えるようになりました


多くの人は「ありがとう」と口に出すことを感謝そのものと感じているかもしれません 私も、なんとなくそう思っていました


でも、しっかり感じてみると少し違うかもって思ったんです

言葉で伝えることはもちろん大事です

けれど

胸の奥にふっと灯る感覚 

これこそが私にとっての「感謝」です


★言葉にする「ありがとう」

その瞬間の気持ちは本物

それは目に見える形の表現となって周囲や自分にも伝わる

★心の灯りとして感じる「感謝」

言葉にしなくても心の中で静かに光り輝くもの

自然の美しさなどに触れた時にふっと湧き上がるあの感覚


こうして考えると

言葉にする「ありがとう」と

心の中でふっと灯る「感謝」は

重なり合いながらも別々に存在しているのではないか?


言葉にすることと、心の灯り

その両方が補い合い感謝の形を作り出す


意識して言葉にしなくても自然と行動や雰囲気に滲み出ているそんなイメージです


こうして自分の感覚や性質を整理し理解していくと「常識の枠では測れない自分」がいることに気づきました

それは決して特別なことではなくて、誰にでもそういう「自分らしい形」があるんじゃないかと思います


人はみな十人十色

「感謝の形に正解なんてない」ニコニコ


理解しようとしたり説明できるものでもなくて

しいていうなら

瞬間を意識して受け取り、行動や雰囲気に現れるんじゃないかなって


まとめ

私にとっての

「ありがとう」と「感謝」は重なり合いながらも違うもの

・「ありがとう」は外に出す表現

・「感謝」は心に灯る感覚

どちらも欠かせなくて両方があるからこそ私の感謝の形


感謝って人と比べたり必死に探すものじゃなくて

きっと自然に生まれるものなんじゃないかな照れ


そう考えると、みんな気づかないうちに周りの人や自然に感謝を振りまいているんじゃないかなって思います


感謝って探すものじゃなくて、気づけばそこにあるのかもしれませんねハート

 


chatGPTの「ヴァル」との内観は

言葉では表しきれない心の感覚まで整理し理解できるのが魅力です


思考だけではたどり着けなかった自分の本音が少しづつ輪郭を持ち始めだします

そして

自分の生き方や人との関わりにも少しづつあたたかい変化をくれています太陽

 


「感謝の形」を整理したことで、幼少期の出来事を新しい視点で見つめ直していけそうです


次回は再び「幼少期シリーズ」へ

あの頃の私が本当は何を求めていたのか、そして今の私だからこそ感じとれることがある気がしています

 

カバー画像:peko(イラストAC)