私は父子家庭で育ちました

保育園の頃には、すでに母はおらず、顔も覚えていません 覚えているのは、ほんのいくつかのエピソードだけ

父は毎晩、お酒を飲んでいました生ビール そして、自分の思い通りにならないことがあると、私は怒鳴られ、殴られました

「人って、殴られると空を飛ぶんやなぁ」と、ぶっ飛ばされながら思った日のことを今も覚えています

 

そんな生活の中にいたからなのか

愛というものが、私はよくわからなかったんです

誰も「愛してる」なんて言ってくれたこともなかったし、抱きしめてくれることもなかった。

“愛”って目に見えないし、どういうものなのか、私にはまったくわからなかったんです


母のいない我が家では、

家事はすべて『女である私』がやらされていました(昭和の親父っていう考え方の人でしたので)

朝起きると朝食作りが待っています みそ汁と焼き魚は必須でした 

作り終えると洗濯物を干す太陽 

それらが終わらないと、学校に行かせてもらえませんでした学校 

だから私は、集団登校に一度も参加できなかったんです

「待って!待ってよぉ……」泣きながら登校班に叫んでいたのが、今も心に残っています

ただ、みんなと一緒に行きたかった……

小学校1年生一人での登校は辛く寂しかった

 

学校から帰ると、

毎日掃除をし、夕ご飯を作らねばいけませんでした

友達と遊ぶ時間なんてなくて…ショボーン

掃除をしても、人差し指で窓の桟をチェックされ「これで掃除したのか!」と怒鳴られました(いやいやお前は姑かっ!とツッコミいれたくなります笑)

ご飯を作っても、

「愛がこもってないからマズイんだ」と罵られました 

まだ包丁もうまく使えなかった小学校低学年の私は、こんなに一生懸命作ったのに、「愛ってなんなんだろう」と本気で思っていました

 

「私には、愛がわからないからダメなのか」

「愛ってどうやったらこめれるんだろう」

 

私はただ知りたかった

どうしたら愛されるのか、どうしたら愛がわかるのか。

 

わからない私は、おかしいのかな

――本気で、そう思っていたし 分からない自分を責め続けていました。

 

あの頃の必死な気持ちや戸惑い、

私は大人になってもその答えを見つけられず、今もなお探し続けています。



子どもって、ホントに純真なんです泣

理不尽とかって、わからない

 子どもの世界では、

家庭が、親が、すべてなんです!!

 だからこそ、私のように

「自分が悪いんだガーンと自分を責めてしまう

 そうやって傷を抱えて生きてきた人は、たくさんいるんだと思います。

 

今、こうして書いていると、

当時の私に「よく頑張ったね」と言ってあげたくなりますニコニコキラキラ

 

 あの頃の私は、

“ちゃんと子どもらしく生きたかった”それだけでした

子どもだった私が背負っていたものの重さに、大人になった今、気づけた気がしています

 

 次回は

外では「しっかりした子」と見られていた私が、実はどんな思いを抱えていたか  そのことも、また書いてみようと思います

 

カバー画像:葉月リオ(イラストAC)