赤ちゃんの頃
のび太は、2666gでパパそっくりで生まれました
大人しくてよく寝る子。母乳がでなかったのでミルクでしたが「大丈夫?」って位たくさん飲んで、初孫誕生に家族全員メロメロ
ハイハイの時期は、バリアフリーにも関わらず、つなぎ目の所は後ろ向きでソ~ッと確認しながら降りる感じ・・・だから階段に上がっていって困るってこともなく、全く怪我もせず、ママ友からは「のびちゃんって磨呂でございます~って感じだよね」って言われてましたいつも天使の様にニコニコして、お友達に物を取られても黙ってママに近寄ってくるだけ。
1才3か月で歩き始めた時も好奇心にまかせて歩きまわるってこともありません。ただただ育てやすい子だなぁと思ってました。1歳半検診で項目の言葉は出ていませんでしたが「ママー(パスタの)」「パパ」「ハイ」などの言葉があったので、慎重な子だという認識でしたね。
ピョン吉は年子で3320gで超安産 私の父にそっくりでちょっと「」でしたが2人目の育児で余裕もありす~っごく可愛くてしかたありませんでした
よく笑いよく寝る育てやすい赤ちゃん。
ところが、1才を過ぎた辺りから夜泣きが酷くなり、それはもう尋常ではない泣き方だったので何度もに連れて行きました。言葉はあまりありませんでしたね。でもピョン吉く~ん!」と呼ぶと「ハーイ」と手を挙げていたので心配なんてしてませんでした。
さすがに1才半検診の時まったく言葉に反応しなくなっていたので漠然とした不安はあったものの保育園に入れば言葉も出てくるだろうと楽観視してました。
なんとなくおかしいと感じ始めたのは何かの番組で自閉症の特集を観た時。ピョン吉2才でした。
実家の母と「入園して1か月経つのに何にもしゃべらないなんていい加減遅すぎない?」なんて話してた矢先でしたので、なにか嫌な予感がしました。
そんな時期朝、園に送っていくと園長先生が言いにくそうに「ピョン吉君のことは家で何と呼んでるんですか?」と声をかけられたんです。瞬間「やっぱり・・・」と目の前が真っ暗になり「病院に行って診察してもらいます」と答えただけで、家にどうやって帰ったのか全然覚えていません
ホントにショックで、暫くは顔を見るのも辛かったです
3ヶ月後やっと順番がきて診断されるときには、母としての確信もあって、ほとんど間違いないと思ってました。家族や周りの人の励ましもあり、覚悟は既に決まってましたし・・・。
園の先生方にも恵まれて、とっても可愛がってもらい幸せな子だと思います
いつもこの子達にも私にも周りの応援がありました。 辛い時期でしたが、幸せも感じられた時期でした。今でもその時の先生方との交流があり、成長を一緒に喜んでくれます
はじめまして。
はじめまして。
現在、特別支援学校4年生(軽度発達障害)と3年生(自閉症)の2人の男の子を育てているママです。
長男のび太は2年生まで地元の普通校に通っていましたが、2年の3学期に沢山のイベントがあり、極度の緊張状態が続いたせいで、毎日吐き気と不安感に襲われ不適応を起こし、のび太のIQでは養護学校は入れない感じだったのですが、もうこれ以上無理をさせると人格が壊れてしまうと思い、なんとか編入することができました
今は、先生のおかげで明るく毎日楽しく通っています
次男ピョン吉はマイペースに育ち、トーマスとママをこよなく愛しているようです やはり先生に恵まれて、言葉も増え、文字にも興味を持ち、音楽が大好きになりました。
毎日ホワイトボードに文字や絵を描き(ほとんどがトーマスの絵とキャラクター名ですが・・・)粘土で作品を作ったりして過ごしています
私はというと、ぐうたらな綺麗好き(!?)料理は嫌い。子供には優しいが旦那に対しては自他共に認める「鬼嫁」
パパは10才年上の恐妻家真面目に働き、時には料理もする(させられる)元ヤンです。
こんな(どんな?)家族ですが、基本的には前向きに明るく暮らしています
知識もなく未だ手探りの育児ですが、こんなぐうたらでも何とかなるのかなというみなさんの安心材料にでもなれば嬉しいです。
少しずつ日常を書いていきたいと思います