良い天気の土曜日。
今日は図書館に籠もって資料を探しまくる。
私小説を書くなら周りを注意深く見ることから初めても良いのだろうが、時代小説となるとそうもいかない。
そこそこ詳しい方だとは思うし、いまはネットでもいろんな資料を探すことはできるけれど、持ってる知識とネットの情報だけだとなんとなく平面的な感じがする。
そこに奥行きを与えるのが小説書きの醍醐味だと言えば言えるのかも知れないけれど、想像で適当なことを書いてしまっては現実感が希薄になりそうで(平成のいま書かれた時代劇に現実感もへったくれもないんだけれど)、まったくの虚構を乗せるためには、土台は可能な限り現実に即していた方が薄っぺらさが消せるのではないかと思うのだ。
資料探しには独特の「予感」みたいなものがあるんだけれど、これは上手く表現できない。
あえて言うなら「匂う」ってことぐらいか。
「あ、これは関係あるぞ」という匂いを感じて掘り下げてみると、だいたい「アタリ」であることが多い。
そういう枝葉末節のことというのはたいがいにおいてトリビアルであり、知っているだけではただの雑学でしかないのだが、そういう枝葉末節の積み重ねが現実社会であるとも思うので、僕はわりとこだわっている。
もちろん仕入れた細部の知識を文面にもれなく使うということではなく、想像のリアリティを増すための小道具であったりもする。
正しく理解しないと勘違いが増えるだけになってしまうので、その辺は手間でもあるのだけれど、一度取り込んだ知識は消えないから、無駄はないのだと言い聞かせている。
今日も面白い資料にぶち当たると良いな。
今日は図書館に籠もって資料を探しまくる。
私小説を書くなら周りを注意深く見ることから初めても良いのだろうが、時代小説となるとそうもいかない。
そこそこ詳しい方だとは思うし、いまはネットでもいろんな資料を探すことはできるけれど、持ってる知識とネットの情報だけだとなんとなく平面的な感じがする。
そこに奥行きを与えるのが小説書きの醍醐味だと言えば言えるのかも知れないけれど、想像で適当なことを書いてしまっては現実感が希薄になりそうで(平成のいま書かれた時代劇に現実感もへったくれもないんだけれど)、まったくの虚構を乗せるためには、土台は可能な限り現実に即していた方が薄っぺらさが消せるのではないかと思うのだ。
資料探しには独特の「予感」みたいなものがあるんだけれど、これは上手く表現できない。
あえて言うなら「匂う」ってことぐらいか。
「あ、これは関係あるぞ」という匂いを感じて掘り下げてみると、だいたい「アタリ」であることが多い。
そういう枝葉末節のことというのはたいがいにおいてトリビアルであり、知っているだけではただの雑学でしかないのだが、そういう枝葉末節の積み重ねが現実社会であるとも思うので、僕はわりとこだわっている。
もちろん仕入れた細部の知識を文面にもれなく使うということではなく、想像のリアリティを増すための小道具であったりもする。
正しく理解しないと勘違いが増えるだけになってしまうので、その辺は手間でもあるのだけれど、一度取り込んだ知識は消えないから、無駄はないのだと言い聞かせている。
今日も面白い資料にぶち当たると良いな。