「うがった見方をする」と聞いて、どのような見方をイメージするでしょうか?
おそらく、多くの人は「疑ってかかるような見方をする」と捉えるのではないでしょうか。
「うがつ」は漢字で「穿つ」と書きます。
穴を開けるという意味で、人情の機微や真相などを的確に指摘することを表します。
つまり、「うがった見方」とは「本質を捉えた見方をする」という意味なのです。
「うがった見方をする」は良い意味であり、本来は褒め言葉なのですね。
なぜ「疑ってかかる」といったネガティブなイメージで捉えられるようになったのでしょうか?
原因の1つとして考えられるのが「うがち過ぎ」という表現です。
本質を追究しようと掘り下げていくうちに、度が過ぎてしまい的外れになってしまうことがあります。
何事もバランスが大切ということなのですが、この「うがち過ぎ」という表現が「うがつ」にネガティブなイメージを植え付ける原因になったと考えることができるでしょう。
ちなみに、「うがった見方」を「疑ってかかる見方」と捉える人は、本来の「本質を捉えた見方」と捉える人の倍近くいるという調査結果があります。
(平成23年度「国語に関する世論調査」によれば、「疑ってかかる見方」は48.2%、「本質を捉えた見方」は26.4%)
調査結果から見ても、「うがった見方をしますね」と言われて「疑ってかかった見方をしますね」と言われていると感じる人のほうが多いことが分かります。
言ってしまった後で「いえ、うがった見方というのは本来良い意味で使われる言葉で・・・・・・」と付け加えても、ネガティブな捉え方をされたという印象は拭えない可能性があります。
このように、本来の意味とは異なる捉え方をする人が増えている言葉は、安易に使わないほうが無難なことがあります。
ストレートに「的確な見方ですね」と言ったほうが誤解されることなく伝わるでしょう。
日本語は難しいですね。