♪昔 卒業の寄せ書きに〜
演劇部の後輩が書いた言葉が
本日のお題です。
高校時代、演劇部だった私は
変な人の集団と思われてても、
大好きな部活だった。
あまり可愛い子のいない演劇部だったけど
私が3年になった時
一気に複数人 可愛い子たちが入部してきて
男子たちが、練習を見に来る
注目の部になってしまった。
変なのが取り柄のクラブなのに••••
その可愛い後輩の中の1人が
卒業の寄せ書きに書いてくれたのが
先輩は、、だった。
中抜けはあるけど
また復活してるよ〜と教えてあげたい
この麗しい写真は1974年。
母とジュリーのロックンツァーに参戦した年!
所は 愛媛県松山市民会館
そもそもは 中学の時の幼なじみが
ジュリーのファンで
私は 触れてはいけない人
みたいに思ってた。
なにしろ、子供にはフェロモンが多すぎて
芳恵ちゃんは、ザ・タイガースの頃
(子供すぎるころから)
ジュリーが好き〜❤️みたいなことを言ってた。
負けず嫌いな私は
同じ人に熱を上げるのが
どうも負けた感があって
じゃあ私はピー!
って言ってた気がする。
中学の卒業の頃のサイン帳に
芳恵ちゃんが描いてくれたイラスト。
その写真の1974年頃 後に
嫌な縁のできたジュンコという
クラスメイトに
ジュリーファンのA子さんという
先輩を紹介してもらう。
手紙が見つかってしまった!
あろうことか、
母が見つけて読んでしまった
母は、あまりうるさくないおっとり型で、
ローマの休日とか好きで
もちろんジュリーのことも
あんなきれいな人は他におらん、、
と言うくらいだから
特別物分かりが悪いタイプの人でもない。
でも、分厚い便箋の手紙に
熱烈な ある種いかがわしいような
文が綴られてると
うちの娘は 悪い道に行こうとしてるのでは??
変な友達と付き合っててあぶない、、
と思ってしまったようで
文通は禁止されてしまった。
でも、私も辞めたかったと
思ってような気がする。
ジュリーのことを語り合いたかったのに
彼氏の話ばっかり
半年くらい 私とそのA子さんとの
気持ちの蜜月は続いただろうか、、
結局 うやむやで自然消滅してしまった。
とてもきれいな字を書く人で
何かの拍子に それを見た母も
まさかそんな情熱的な
瀬戸内晴美の小説のような内容だとは
想像すらしてなかったことと思う。、
なんで勝手に見たん!?
と怒った記憶はある。
だけど 私はそんな手紙が読みたかった
わけではないので
心の中に A子さんにも母にも
言うに言えないストレスは溜まってたと思う。
A子さんとの文通はあっけなく終わり
2度と会うこともなくなってしまった。
文通とか交換日記とか
ジュリーを好きだってふれまわってたのは
中学、高校の合計6年くらい。
思春期から青春時代になる
かけがえないキラキラしてた頃。
だんだん落ち着いてきて
やたらキャーキャーとは
言わなくなった。
あの頃の友達は
沢田研二と聞けば
絶対に私のことを思い出すはず!
という
根拠のない自信はいまだにある
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