昔のFull Houseを観ていたら、一年生の次女のボーイフレンドの名前がHarry Takiyamaだった。


どうやら日系人らしい。なんとなく嬉しいかも。




前にオンエアしていた頃はなんだか飽きちゃってFull Houseはイマイチ食指が働かなかったのだけれど、今みるとなんだかかわいいし嬉しい。


本当は家族じゃないのに本物の家族みたいに観えて、こども達もまだ小さくてかわいい。


演技の部分は演技だとわかるし、大人三人の絡みは明らかに演技なんだけど、小さい女の子達が時々お互いににっこり笑いあったりするのが妙に自然でそれもかわいい。




それにしてもアメリカの女の子って小さい頃からこんなに「恋人」にこだわるなんて…。


私は頭の回転が速くてちょっとズレて次女が一番好きです。
ネットサーフィンしてたら偶然下記URLを発見。








ドイツのポルカ歌手。7歳だって。




世の中にはまだまだ面白いことがあるもんだ。


あいにくドイツ語はわからないので、彼のバイオグラフィーは不明だけど…。


見かけも音楽もあからさまにポルカ。


そこで、7歳の彼が何故ポルカに目覚めたのか。


彼にとってポルカとは何か。


そもそも、ポルカの魅力とは?




曲がりなりにもこのサイト、音楽も聴けるしビデオも観れるのだ。


ポルカねぇ…。


小さいのにおじさんみたいな仕草で、撫で肩からサスペンダー(笑)の紐が度々落ちるほどの熱唱ぶり。サスペンダーがおちると若干会場が沸くのは??


前にThe Corrsのコンサートで長女のSharonが着ているドレスの肩紐が、しょっちゅうずり落ちてしまうのがあった。彼女はFiddlerだからああいうデザインはマズイんじゃないかなぁと思ったけど、そんなにサービスショットになる事もなく大丈夫だったけど。


肩紐とかサスペンダーの紐とか落ちてくると気が散るんじゃない?




とりあえず、Toni君は国民的アイドル(?)らしいです。


かわいらしいです。けれど…、小学校の歌が上手い子との差はどれだけあるのかは不明。


誰が最初にこの子のCD出すことにしたんでしょう。


プロデューサーが一番すごいと思う。


Sheryl Crowが歌った"Strong Enough"は私の歌だ。


いつ、どこで私のことを観ていたんだろうと思うほど、私の歌。


高校生のときこの歌をよく歌っていたんだけど、そのときは強気な歌だと思った。


だけどもう少し人生を知って、いろんな男の人といろんな関係を持って、いろんな別れ方をして、個の歌をもう一度歌ったときには、心の弱みを曝け出した歌だと思って痛くなった。




本当にそう思う。嘘をつかれるより行ってしまう方がずっと辛い。




上辺は強くて、感情も激しい。だけど一番弱っているときには傍にいて受け止めて欲しいのだ。


いろんな人と出合った。だけど、嫌いな部分はみんな同じだ。一番見せて欲しくないものも同じ。


私は自分から去っていく「後姿」だけは観たくないのだ。






God, I feel like hell tonight
Tears of rage I cannot fight
I'd be the last to help you understand
Are you strong enough to be my man?

Nothing's true and nothing's right
So let me be alone tonight
Cause you can't change the way I am
Are you strong enough to be my man?

Lie to me
I promise I'll believe
Lie to me
But please don't leave

I have a face I cannot show
I make the rules up as I go
It's try and love me if you can
Are you strong enough to be my man?

When I've shown you that I just don't care
When I'm throwing punches in the air
When I'm broken down and I can't stand
Will you be strong enough to be my man?

Lie to me
I promise I'll believe
Lie to me
But please don't leave

二週間の病気休暇でいろいろ考えたのだけれど、今回の病気の原因はストレス、心労。


その心労の原因はやっぱり自己の弱さという結論になった。




誰が何といおうと、私は弱い女です。


いや、これに関して「そんなことない」とか「十分な強さがある人だ」とかは言われたくない。そう言われて、うわべの強さや利発さを過信し、されたが為に病気になったわけだから。




幼い頃から母子家庭でそんなに楽な環境ではなかったから、私は気がついたころにはうわべの強さと強情さ、頑固さを取り繕って自分を守っていた。一方、姉は弱さを味方につけて人に甘えるのが常だった。甘え上手だ。その下で私はいつも忘れられる存在。「あなたは自分でできるからいいの」、「できるんだから自分でやりなさい」、「お姉ちゃんはできないんだから」。そんな言葉で蹴散らされて、実際ここ何年も私の誕生日は忘れられている。


だけどそんな事気にしない、大丈夫、自分は強いから。そう装って自分を騙してきたのについに綻びが出てしまったような気がする。




会社に入って、事務所の人はみんな若かった。だからすごくやりやすい。


珍しいほどみんないい人で、若すぎる私でも意見を言える環境なんてこの社会には滅多にないのだ。つまり、存在を早いうちから認めてもらった。ある程度重宝だったのだ。


楽しくないわけじゃないし、仕事の量は多くても別にそんなの気にならない。


だけど、その若さゆえに成り立つ根拠のない自信、根拠のある自信、「経験に基づいた」強固な意見や強情さ、そして意地。そんなものも多くて、落とし穴の多い精神性がある事務所でもあった、今そう思う。


例えばこれも若さゆえの情熱で、みんなばらばらの信念を抱いているのだ。


信念を抱くのは良いことで、問題はない。全く問題はない。けれど信念が他者へ向き、他者へ求め始めるのを食い止めることはできないのだろうか。


進行方向は同じ。もちろん同じだけれど持っている道具が違う。使おうとする道具が違う。そして同じ道具も使い方が違う。もちろん構わない、それぞれがそれぞれだから。だけど人にも自分の使い方を求め、そうしないと腹を立てるのは間違っている。




私の失敗は答えを求めたこと。そして一つの信念に心を開きすぎたことだと思う。


若さゆえの「自信のなさ」、というか「自信のなさ」は私の性分だから若さを味方にはできないかもしれない。とにかく極端な慎重さと自信のなさが私に「答え」を求めるようにけしかけた。


答えを手にする為には「指導者」が必要だった。


だから「最も合理的」で「経験に基づき」、その場が「要求されていること」に近い声を選び、耳を傾けるだけではなく、心を傾けてしまった。しかしその声は最も「強さ」を要求するもので、私のその強さはなかった。だから毎日心で聴く声、心で観る要求、心で感じる相手のもどかしさが全て私のプレッシャーとなり、精神と身体を蝕んでいた。




私の事務所の人たちは若いけれど、私よりはるかに人生経験をつんでいる。


それぞれのバックグラウンドをよく知っている訳ではないけれど、年輪とは人生の深さを示す。


例えば知的障害のある子供がいたとする。その子は同い年の子のように算数はできない。国語もできないし、英語どころか日本語もままならない。もちろんスポーツはルールがわからないし、楽譜だって読めない。だけど、「生きていく知恵」は同い年の健常者の子供に比べて遥かに高いレベルにいるのだ。人生の年輪とはそういうものだ。


私の事務所の人たちは若いけれど、少なくとも5年以上は、私より深い年輪を持っている。


ただの言い訳に思えればそれっきりだけど、私の心の大きさは彼らより足りない。私のキャパシティはまだ小さいのだ。




そんな事を気の留めずに、「経験に基づいた」「合理的」で「要求されていること」に直結する声に心を傾けたせいで、結局私は自分の驕りと焦りという落とし穴に落ちてしまった。


平たく言えば身の程知らずだ。


言い訳するならば、求めた方も私の未熟さを考慮しなかったと言える。


見せ掛けの強さにまどわされて、いたと言える。


だけど、私の強さが自分を守る為の鎧にしかすぎないと、誰にわかるのだろう。




気がついたのは、自分が弱い人間だと言うこと。


そして、先ずその弱さやもろさを受け止めて欲しいのだ。


「大丈夫だ」と言う前に、要求する前に受け止めて欲しい。私が弱い人間だと言うことを知って欲しい。甘えられる人間を見つけるべきなのだ。弱さを見せていい相手が必要だ、もっと近くに。


そして自分の弱さを見せる勇気を持つ事が私に必要なことだ。




20年間一度も言う勇気がなかった言葉を、引っ張り出すときなんだと思う。


古い道具のほこりを払って、また使えるようにしないとならない。


「できない」を言える様にしないとならない。そうでなければまたクモの巣に捕まってしまう。


結局自分を生かすも殺すも自分次第なのだ。




だから、「がんばる」のはいいけれど「できないことをする」のはもうやめる。


努力しないわけではないけれど、やりすぎるのはやめる。


まだ若いのだから、時間があるのだから焦らない。


もとめられても全てが出来るわけじゃないのだから。


限界と言ってしまうとそれ以上伸びないから、自分の限界は知らなくていいと思う。


そんな言葉はもう使わない。




火曜日に職場に戻ったらそうしようと思う。


もう追い詰めない。がんばるだけ。


相変わらずヒマだから、今度はmixiのレビューを書いてみることにした。


娯楽ね。一日数時間しか起きられないくせに…。


CDって物凄くたくさん持ってるけど、文章を書けるCDって少ないことに気づいた。