二週間の病気休暇でいろいろ考えたのだけれど、今回の病気の原因はストレス、心労。
その心労の原因はやっぱり自己の弱さという結論になった。
誰が何といおうと、私は弱い女です。
いや、これに関して「そんなことない」とか「十分な強さがある人だ」とかは言われたくない。そう言われて、うわべの強さや利発さを過信し、されたが為に病気になったわけだから。
幼い頃から母子家庭でそんなに楽な環境ではなかったから、私は気がついたころにはうわべの強さと強情さ、頑固さを取り繕って自分を守っていた。一方、姉は弱さを味方につけて人に甘えるのが常だった。甘え上手だ。その下で私はいつも忘れられる存在。「あなたは自分でできるからいいの」、「できるんだから自分でやりなさい」、「お姉ちゃんはできないんだから」。そんな言葉で蹴散らされて、実際ここ何年も私の誕生日は忘れられている。
だけどそんな事気にしない、大丈夫、自分は強いから。そう装って自分を騙してきたのについに綻びが出てしまったような気がする。
会社に入って、事務所の人はみんな若かった。だからすごくやりやすい。
珍しいほどみんないい人で、若すぎる私でも意見を言える環境なんてこの社会には滅多にないのだ。つまり、存在を早いうちから認めてもらった。ある程度重宝だったのだ。
楽しくないわけじゃないし、仕事の量は多くても別にそんなの気にならない。
だけど、その若さゆえに成り立つ根拠のない自信、根拠のある自信、「経験に基づいた」強固な意見や強情さ、そして意地。そんなものも多くて、落とし穴の多い精神性がある事務所でもあった、今そう思う。
例えばこれも若さゆえの情熱で、みんなばらばらの信念を抱いているのだ。
信念を抱くのは良いことで、問題はない。全く問題はない。けれど信念が他者へ向き、他者へ求め始めるのを食い止めることはできないのだろうか。
進行方向は同じ。もちろん同じだけれど持っている道具が違う。使おうとする道具が違う。そして同じ道具も使い方が違う。もちろん構わない、それぞれがそれぞれだから。だけど人にも自分の使い方を求め、そうしないと腹を立てるのは間違っている。
私の失敗は答えを求めたこと。そして一つの信念に心を開きすぎたことだと思う。
若さゆえの「自信のなさ」、というか「自信のなさ」は私の性分だから若さを味方にはできないかもしれない。とにかく極端な慎重さと自信のなさが私に「答え」を求めるようにけしかけた。
答えを手にする為には「指導者」が必要だった。
だから「最も合理的」で「経験に基づき」、その場が「要求されていること」に近い声を選び、耳を傾けるだけではなく、心を傾けてしまった。しかしその声は最も「強さ」を要求するもので、私のその強さはなかった。だから毎日心で聴く声、心で観る要求、心で感じる相手のもどかしさが全て私のプレッシャーとなり、精神と身体を蝕んでいた。
私の事務所の人たちは若いけれど、私よりはるかに人生経験をつんでいる。
それぞれのバックグラウンドをよく知っている訳ではないけれど、年輪とは人生の深さを示す。
例えば知的障害のある子供がいたとする。その子は同い年の子のように算数はできない。国語もできないし、英語どころか日本語もままならない。もちろんスポーツはルールがわからないし、楽譜だって読めない。だけど、「生きていく知恵」は同い年の健常者の子供に比べて遥かに高いレベルにいるのだ。人生の年輪とはそういうものだ。
私の事務所の人たちは若いけれど、少なくとも5年以上は、私より深い年輪を持っている。
ただの言い訳に思えればそれっきりだけど、私の心の大きさは彼らより足りない。私のキャパシティはまだ小さいのだ。
そんな事を気の留めずに、「経験に基づいた」「合理的」で「要求されていること」に直結する声に心を傾けたせいで、結局私は自分の驕りと焦りという落とし穴に落ちてしまった。
平たく言えば身の程知らずだ。
言い訳するならば、求めた方も私の未熟さを考慮しなかったと言える。
見せ掛けの強さにまどわされて、いたと言える。
だけど、私の強さが自分を守る為の鎧にしかすぎないと、誰にわかるのだろう。
気がついたのは、自分が弱い人間だと言うこと。
そして、先ずその弱さやもろさを受け止めて欲しいのだ。
「大丈夫だ」と言う前に、要求する前に受け止めて欲しい。私が弱い人間だと言うことを知って欲しい。甘えられる人間を見つけるべきなのだ。弱さを見せていい相手が必要だ、もっと近くに。
そして自分の弱さを見せる勇気を持つ事が私に必要なことだ。
20年間一度も言う勇気がなかった言葉を、引っ張り出すときなんだと思う。
古い道具のほこりを払って、また使えるようにしないとならない。
「できない」を言える様にしないとならない。そうでなければまたクモの巣に捕まってしまう。
結局自分を生かすも殺すも自分次第なのだ。
だから、「がんばる」のはいいけれど「できないことをする」のはもうやめる。
努力しないわけではないけれど、やりすぎるのはやめる。
まだ若いのだから、時間があるのだから焦らない。
もとめられても全てが出来るわけじゃないのだから。
限界と言ってしまうとそれ以上伸びないから、自分の限界は知らなくていいと思う。
そんな言葉はもう使わない。
火曜日に職場に戻ったらそうしようと思う。
もう追い詰めない。がんばるだけ。