あせびのトマリギ -4ページ目

音の息吹

音に出会う際、そこで息づく躍動感に出会えることが稀にある。
五線譜を正確になぞるだけでも、出現する感覚かもしれない。。
が、それは、あくまで小手先、口先だけのもの、手でボールをおきにゆく
ストライク好きなピッチャーの投球そのもの。。
躍動感には、その裏付けとなるものが存在するのだと感じている。
喜怒哀楽すべてにおいて、躍動は存在し、その裏地が存在するのだと。。
必ずしもど真ん中にとどくわけでなく、躍動ゆえにその幅はその
裏地にある脈打つ生命力の強弱~抑揚に左右され、ゆえに無軌道なのだ。
無軌道であるがゆえに律動でなく、自由の対極に息づくゆらめく魂として
具現されるかのように感じるひととき。。たとえ、どのように迷彩をほどこした
皮をかぶっていようが、どのような木偶にみせかけようが。。。
演じる意識のなかには欠片もない極稀な、幸せこのうえない出会いなのである。

自然体

シゴトの上では、顧客との良好なコミュニケーション~距離感を保つ目的で、よどみのない会話は、有効であり、且つ、必須とも言える。。が、一歩、その場から離れ、プライベートなスペースに身をおくときには、いたって寡黙?必要以上に口を開くことは、稀である。たとえば、ライブスペースなどにアシを運べば、ミュージシャンと言葉をかわす機会は多いし、隣席の客同士で音楽談議に花を咲かすケースもあるだろう。そこから生まれる世界の広がりは多くの有意義な情報や知識を得る宝庫なのかもしれないのだ。指をくわえてる場合ではないと思うこともある。が、やはり日中の反動なんだろうか?なんの干渉もうけないスペースで生の音と向かい合う瞬間を求めてやまないのだ。バーテンとは、アイコンタクトで,,知り合いとは、軽い会釈で,,音には心身をひらき,,奏者には拍手でかえす。いたって、シンプルに淡く相応なスタンスをとってしまう。稀に、必要以上とも思えてしまうふみこみかたをしてしまうケースもあるが、それは、相手側の卓越した即興性がこちらの即興性を呼び起こした場合にかぎるんじゃないのかなあ?;-)

鳴かずならば いずこか知れぬホトトギス 五月雨暗く降りしきる夜は

松蔭さんは、そう、詠まれたそうだが、鳴かず飛ばず、密やかに他の鳥の奏でに耳をすます珍種には、無縁の,,熱い世界のように思えるのである;-)

バターの香り